アメリカに説教されると沈黙した安倍首相 しかし自己責任論
イラクで武力行使しながら武力行使に反対するボランティアの行動を尊重するというのは、“腐っても自由の国、アメリカ”という感じだが、それはともかく、この発言によって日本の政治家たちはクモの子を散らすように自己責任論から逃走した。それまで勇ましく「人質に救出費用を払わせろ」と言っていた自民党の右派政治家たちも完全に沈黙。マスコミの取材にもノーコメントをつらぬくようになった。
それは安倍首相もまったく同じで、これ以後、この件で自己責任論を口にしなくなった。第一次安倍政権のときに従軍慰安婦について「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と大見得を切りながら、アメリカに猛反発を受けて沈黙してしまったのとまったく同じパターンだ。
ようするに、弱い自国民に対しては上から目線で恫喝をかけるが、自分より強いアメリカに言われたら何も言い返せない。それが連中の本質なのだ。
しかし、沈黙したからといって、彼らが自己責任論を捨てたわけではない。これとほぼ同じ構図は、2015年に発生した湯川遥菜氏と後藤健二氏が人質となったイスラム国による拘束事件においても繰り返されたからだ。
表面上、安倍首相は自己責任論を口にしなかったが、きっとその心根は2004年当時とまったく変わっていなかっただろう。実際、安倍首相は救出に動かず、交渉を妨害したばかりか、湯川氏と後藤氏が人質にとられている状況で、相手を挑発し、殺害という最悪の状況をつくりだしてしまった。
しかも、その安倍首相はふたりが殺害されたとたん、「罪を償わせる」と報復ともとれるような発言をし、「日本国民に指1本触れさせない」と威勢のいい啖呵を切って、自衛隊の対テロ部隊海外派遣をはじめとする安全保障体制の強化を次々打ち出した。「国民の生命と財産を守る任務をまっとうする」として、翌年の参議院選挙後に憲法改正のための発議を行うことまで言明した。
国民を見殺しにしながら、殺害されるやいなや報復の感情を煽り、「戦争のできる国づくり」に政治利用する。その卑劣さには反吐が出るが、しかし、これこそが自己責任論を扇動する者の典型的なパターンなのだ。イラク人質事件以降、日本では事あるごとに自己責任論バッシングが繰り返されている。
今回のタイの事件では、世界各国から集まった救出チームの働きが多くの人の感動を呼んだが、被害者たちの無事を喜びこそすれ、決して自己責任論を振りかざして叩いたりしないタイの人々の反応には、大いに学ぶところがあるのではないだろうか。
(編集部)
最終更新:2018.07.12 11:54