「女性記者は名前を名乗れ」「週刊誌でなく自社で報道しろ」はおかしい
だが一方で、当のメディア側からも同じような発想の論調が散見される。特に政権寄りのジャーナリストや評論家のなかには「記者なら、正々堂々と名前を名乗って、告発すべきだ」などという言いがかりをつけるものも少なくない。
また、多いのが“なぜ自社で堂々と告発しないで、週刊誌にたれこんだのか”という批判だ。たとえばきょうの『とくダネ!』(フジテレビ)では、コメンテーターの為末大氏が「記者さんじゃないですか。自社で(告発報道を)出さなかった理由が知りたい。なんでわざわざ『新潮』に。自分のところで出したらこれスクープだと思うんですけど」などと発言していた。
他にも、夕刊フジ(「zakzak」4月16日)は「なぜ、女性記者はセクハラ疑惑を自社で報じなかった?」などと題して、〈女性記者の対応にも一部で疑問の声が出ている〉と報道。永田町関係者の「女性記者はどうして自社で財務次官のセクハラ発言を報じ、会社として正々堂々と財務省に抗議しなかったのか。大スクープになったのに、なぜ週刊誌に持ち込んだのか。音声が無断録音の可能性もある。今後、新潮報道の背景も注目されそうだ」なる言いがかりを書き立てている。
こいつらは“男社会”で女性が性被害を告発することの大変さをわかっているのか。しかも、マスコミの取材現場は、普通の社会以上に“男社会”であり、女性は告発することが難しい構造になっている。
永田町や霞が関、あるいは警察取材の現場では、官僚や政治家による女性記者へのセクハラが頻発しているのは公然の事実だ。たとえば最近では2016年、当時の河井克行首相補佐官が女性記者の膝をさするなどのセクハラをしていたことを「週刊文春」(文藝春秋)が報道。2010年には警視庁幹部が忘年会で女性記者の体を触って「一緒にトイレに行こう」と誘うというセクハラを「週刊現代」(講談社)が報じている。他にも1994年には「FRIDAY」(講談社)で、検察担当の複数女性記者が秋田地検の次席検事から押し倒され、胸を触られる等の性被害を告発した。
しかし、こうして表に出てくるのはごくごく一部のみであるうえ、告発の舞台のほとんどは週刊誌。新聞やテレビが報じることはない。
なぜか。それは、けっして被害者である記者のせいではない。被害者が直接、自分のメディアを使って政治家や官僚のセクハラを告発したいと考えても、会社や上司がそれを許さないからだ。記者クラブを通じて官公庁の情報を得ている新聞やテレビは、官公庁との関係悪化、報復の嫌がらせを異常に恐れる。そして、被害者である記者たちに「そんなこと告発して情報が取れなくなったらどうするんだ」「それくらい我慢しろ」と迫るのだ。なかには、公然わいせつに近いような悪質なケースでも、メディアの報道幹部と官僚機構のトップが裏取引をして握り潰してしまうこともある。
そして、記者本人にも、セクハラを告発したことで担当から異動させられたり、花形の報道現場からはずされたりするのではないか、という恐怖があり、告発には踏み切れない。