杉原が手記に綴ったお上に逆らう苦悩、そして人道主義と博愛精神
こうした公的資料を「杉原ビザは日本政府の方針」と読み替えるのはどうやっても無理筋だ。実際のところ、杉原が日本政府の方針に確信的に背いたのは、その苦悩が証明している。前述の手記では、本省から「発給相成ならぬ」の回答を受けたときのことをこう打ち明けている。
〈私は考え込んだ。仮に、本件当事者が私でなく、他の誰かであったならば、百人が百人拒否の無難な道を選んだに違いない。なぜか?。文官服務規程というような条例があって、その何条かに縛られて、昇進停止とか馘首が恐ろしいからである。〉
杉原は〈この回訓を受けた日、一晩中考えた〉。そして、出した答えはこうだった。
〈兎に角、果たして浅慮、無責任、我武者らの職業軍人集団の、対ナチ強調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか?それが果たして国益に叶うことだというのか?。苦慮の挙げ句、私はついに人道主義、博愛精神第一という結論を得ました。そして妻の同意を得て、職に忠実にこれを実行したのです。〉(『決断・命のビザ』所収「杉原手記」より)
繰り返すが、難民への態度ひとつとっても「人道主義」を貫いた杉原と安倍政権の冷酷は真逆であり、安倍首相は日本がナチスと協力関係にあったことや、さらに戦後、政府が杉原を馘首したことをネグって「日本人として誇りに思う」とのたまうのだから、もはや呆れるほかないだろう。しかもそれは“杉原のビザ発給は八紘一宇の方針だった”なる帝国主義を賛美する歴史修正主義と地続きなのである。
加えて言えば、安倍首相はナチのホロコーストからユダヤ難民を救った杉原の決断は褒め称えるが、南京事件や慰安婦問題などの日本軍の戦争犯罪については否定的なリビジョニストだ。「日本の誇り」に都合のよいところだけを引っ張り出す安倍政権の“戦前礼賛宣伝”にゆめゆめ騙されてはならないのはもちろん、アメとムチで飼いならされている霞ヶ関もまた、杉原千畝の高潔さから学ぶべきものがあるはずだ。
(宮島みつや)
最終更新:2018.01.16 02:31