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加計問題で圧力の安倍側近・萩生田官房副長官が「シン・ゴジラを観ろ!」 事務次官会議での発言を前川前次官が明かす

『シン・ゴジラ』の間違った反民主主義的メッセージ

 もちろん、怪獣映画が現実に即している必要はないし、エンタテインメント性を確保するためにヒーローとそれを阻む官僚組織を描く必要性もわかる。しかし、評論家連中が知りもしないで「リアルな政治ドラマ」などと評価をくだしたことで、『シン・ゴジラ』は完全に間違った新自由主義と反民主主義のメッセージを発信することになってしまった。

 そして、一番問題なのは、寺脇・前川対談で明かされたように、ネトウヨやメディアだけでなく、当の安倍政権の幹部までがその気になってしまっていることだ。それこそ、総理の側用人たちがこの映画そのままに、法律にのっとった手続きや官僚の自由な議論を封じ込め、総理の意のままに政治を動かし始めている。

 しかも、彼らが法律や手続き、官僚の議論を無視してやろうとしているのは、日本国民の安全とはまったく関係のない話だ。萩生田氏が長谷川博己になった気分で官僚たちに迫ったのは、加計学園の獣医学部認可という安倍首相のオトモダチへの利権供与だったのだ。

 しかし、リーダーの独裁を正当化し、民主主義的手続きを邪魔者扱いすれば、必ずこういうことが起きる。いや、利権漁りだけでなく、寺脇、前川両氏が警告したように、外交や安全保障で“総理のご意向”が政治を動かすようになってしまえば、日本国民が危機にさらされる事態も起こりかねない。だからこそ、寺脇氏はそれを正当化するような『シン・ゴジラ』についても、「ダメな映画」と一刀両断したのだろう。

 いや、寺脇・前川両氏だけではない。思想家の浅田彰氏は『シン・ゴジラ』について、ウェブマガジン「REAL KYOTO」でこう指摘している。

〈左右の政治的対立による停滞を超えたプラグマティックなテクノクラート集団が、例外的事態に際して非常識とも思える大胆な決断を行い、事態の収拾に成功するという政治的ファンタジーこそは、ファシズムなどを生み出した「維新」のイデオロギーであるということを、忘れるわけにはいきません。〉

『シン・ゴジラ』の映画としての出来不出来について論じるつもりはないが、少なくとも『シン・ゴジラ』を観ただけで「日本政治のリアルがわかった」なんて気になってはならない。いま起きている日本政治の問題点を知りたいなら、むしろ、前川氏と寺脇氏によるこの対談本を読むほうがはるかに価値がある。

最終更新:2017.11.12 11:39

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