金と利権のために原発再稼働を進める政権へ向けた恩田陸の怒り
青春時代を過ごした茨城県で起きた東海村の事故。この国はそこから得た教訓をまったく活かすことができず、さらに大きな事故を起こしてしまった。「一冊の本」(朝日新聞出版)17年4月号に掲載されたエッセイでは、東海村の事故と福島の事故をこのように綴っている。
〈「青い光を見た」という二人が急性放射線障害で亡くなった。その実態は凄まじい。当時の医療関係者が証言しているドキュメンタリーを観たことがあるが、染色体が破壊されたため細胞が再生されず、臓器や筋肉の入った人間という「袋」が維持できない状態で、最後のほうは、皮膚を覆って「袋」を保つのが精一杯だったという。手を尽くしたものの治療方法がなくなり、1人は事故から83日目、もう1人は211日目に多臓器不全で亡くなった。「人命軽視もはなはだしい」と治療に携わった医師が怒りを露にしていたことを思い出す。
あの頃と変わっていなかった。進歩していなかった。あの事故は今映像を観ているこの事故に繋がっていた。きっとまた、この次の事故も起きるだろう。ニュースを見るたび、そんなデジャ・ビュを覚えるのである。〉
この国の為政者は同じ事故を繰り返すだけでは気が済まず、必要性のない原発をいまだに使い続けようとしている。そこに国民の姿はない。あるのは、金と利権だけだ。
〈しかし、この国の偉い人たちは、どうしても原発を使い続けたいらしい。
そもそも、増え続ける電力需要のために多くの原発の建設が押し進められたわけだし、電気が必要だから原発も必要なのだという話だったはずである。しかし、節電技術の向上で、原発が一基も稼働していなくとも、国内の電力が賄えることが証明されてしまった。
(中略)
当初の目的を見失い、原発を稼働させること自体が目的化してしまっているのだ。〉(前出「一冊の本」)