脱原発の声を上げた坂本龍一に浴びせられた、誹謗中傷と政治圧力
坂本は1990年代から環境問題に関心をもち、2006年に核燃料再処理施設の放射能汚染の危険性を訴えるプロジェクト「STOP ROKKASHO」を始動させるなど、福島での事故以前から脱原発運動に携わってきた人物。とくに事故後は、被災地支援活動と並行して、積極的に発信・行動を展開。それはいまなおつづいている。
実際、震災後の坂本の動向をおさめたドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が今月3日にベネチア国際映画祭で公式上映されたが、その後のインタビューでは、脱原発に取り組むことについて「知ってしまった、見てしまったからには声を上げます。でもいつか音楽家が声をあげる必要がない社会になってほしい」と答えている。
知ってしまったからには声をあげる──。だが、坂本は注目度が高いだけ、批判の的ともなってきた。思い出されるのは、2012年7月に集会で発した「たかが電気のために、なんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか」という言葉だ。
人の命と電気を比較すれば命のほうが大事に決まっている。こんな当たり前の発言さえ問題視されてしまったのだ。この発言以前から、「電気自動車のCMに出ているくせに」「シンセサイザーを使ってテクノやってたくせに」だのと難癖をつけられていた坂本だが、この発言によってバッシングが加速。中咽頭がんであることを公表した際には「反原発運動の先頭に立ってきたため放射線治療は拒否する考え」と一部スポーツ紙が飛ばし、ネット上にも「反原発ってアホばっかなんやね」などと誹謗中傷に溢れた。
対する坂本は〈ああいう芸能記事を真に受ける人いるの?〉と一蹴しつつ、他方、脱原発については「日本のエネルギー消費のうち電力は4分の1。原発はその4分の1。事故前でも全体の6%に過ぎない」ことを訴え、「原発に頼らない電気を選ぼう」と呼びかけた。
だが、「声をあげる音楽家」には、政治の場からも圧力がかかった。この年、当時の坂本は山口情報芸術センター10周年記念祭総合芸術監督を務めていたのだが、山口市議会では議員が「(芸術監督として)税金を使って活動するのだから、政治活動を慎むよう申し立ててほしい」と市に要請。答弁で市の幹部は「本人に配慮いただくようお伝えしたい」と答弁した。