「皇室の安定」を叫ぶ一方、「皇族の人権」を蔑ろにする議論
結局のところ、あくまで「皇室の安定」を第一に考えるのであれば、論理的には女性宮家創設と女系天皇を認める以外になく、繰り返すが、男系血統主義はただのカルトでしかない。
しかし、女性宮家・女系天皇を単に認めれば皇室は安泰、メデタシメデタシかというと、それも違うだろう。たとえば、男女同権の立場から女系天皇でなぜいけないのかと素朴に疑義を呈す向きがある。「女性だからダメなのだ!」は明白な男尊女卑の性差別だからもっともだ。ただこの点に関しては、あえて竹田の弁を引いておきたい。
〈女性の権利を理由に女性天皇の正当性を主張する論もある。だが、皇族には、民間人に保障されている人権はほとんどない。選挙権・被選挙権がないことは当然としても、皇族には旅行の自由・住居移転の自由・職業選択の自由・宗教の自由がないばかりか、学問の自由・表現の自由・結婚の自由なども著しく制限される。このような人権がほとんどない世界に、女性の権利など別の人権を持ち込むことに何の意味があるというのだろう。〉(前述「Voice」)
まあ、竹田は男系血統の歴史の前には人権など無効だと主張したいわけだが、逆に言えば、天皇や皇族は誰がどうみても人間である。そして、ある人がこれだけの権利を奪われているのならば、もう「女系」とか「男系」とか言っている場合ではなく、まして「皇室の安定」を案ずるなど本末転倒だろう。
女性宮家・女系天皇をめぐる議論では「私が一番皇室のことを考えているのだ!」と言わんばかりの“臣民”らが声を大きくする。安倍首相もそのひとりだ。しかし、なぜか彼・彼女らの不自由については踏み込まない。それは、眞子内親王の結婚内定を伝えるマスコミも同じだ。
(宮島みつや)
最終更新:2017.12.05 01:07