想田和弘監督が指摘した「菅官房長官語」が加計、森友問題でも
安保法制が審議されていたとき、映画監督の想田和弘氏がこれを「菅官房長官語」と名付け、〈木で鼻を括ったような定型句を繰り出す。するとコミュニケーションがそこで遮断される。議論にならない。なりようがない〉と分析していたが、菅官房長官はこうしたまったく話が成り立たない回答で、前川氏が証言した事実に蓋をしようとしたのだ。
これは森友学園問題でも同様だった。安倍昭恵夫人と籠池泰典理事長の関係が取り沙汰されても、安倍首相と足並みを揃えて「首相夫人は私人」と言い張り、昭恵夫人の塚本幼稚園での講演活動には「私的行為」、稲田朋美防衛相が森友学園の原告側代理人弁護士として出廷していたにもかかわらず「裁判を行ったこともない」と虚偽の答弁をしていたことが発覚しても、「稲田氏の個人的な活動に関すること」「まったく問題ない」などと取り合わなかった。
だが、籠池理事長の証人喚問で総理夫人付・谷査恵子氏が財務省へ掛け合った後の報告FAXの存在を明かし、一気に劣勢に立たされた菅官房長官は「事実関係は籠池氏の国会証言とは異なる」として、異例にもFAXのコピーを記者に配布。「ゼロ回答」「夫人は中身には関わっていない」と言い募り、その後も「職員個人がやったこと」とミエミエの嘘で責任転嫁したのである。
一方、与党が籠池理事長を偽証罪での告発に向けて動き出すと、「政府として必要な協力は行っていきたい」「証拠のない言い合いを続けるよりは、客観的な証拠を示し、事実を解明することが大事だ」と積極的な姿勢を見せたのだ。
財務省が交渉や面会記録を破棄したとすることには「問題ない」などと言い、財務省と籠池夫妻のやりとりがおさめられた音声データが出てくると「承知していない」と逃げ、「不動産鑑定書などに基づいて理財局長が国会でていねいに答弁されている」と現実とはかけ離れた回答を繰り返す──。そうして加計学園問題でも、内部文書を「出所不明で信憑性も定かでない」「文書の存在は確認できなかった」と断言しつづけ、「そういう事実はない」「指摘はあたらない」を連発。つまり、森友でも加計でも、菅官房長官は“スガ話法”によって同じことを反復しているにすぎない。
いや、森友・加計学園疑惑だけにとどまらない。先日、河野克俊統合幕僚長が、憲法に自衛隊を明記しようと提唱した安倍首相の発言について「一自衛官として申し上げるなら」と前置きして「非常にありがたい」と述べた件でも、菅官房長官は「あくまで個人の見解として述べたもので、まったく問題ない」と回答。河野幕僚長は「一自衛官」として語っており「個人」などでは全然ないのだが、いくら追加で質問を受けても「申し上げた通り」で済ませてしまったのだ。
さらに唖然とさせられたのは、国連特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏から送付された共謀罪に懸念を示す書簡に対し、「この特別報告者という立場ですけども、これは独立した個人の資格で人権状況の調査・報告を行う立場であって国連の立場を反映するものではない」と、今度は「個人」という言葉で故意に信頼性を貶め、「政府が直接説明する機会を得られることもなく、公開書簡のかたちで一方的に発出した。さらに内容は明らかに不適切なものであり、強く抗議を行っている」「プライバシーの権利や表現の自由を不当に制約する恣意的運用がなされるということは、まったくあたらない」と、何の根拠も示すことなく猛批判だけ行った。