決定的に違う箇所は他にもある。それは教育勅語の核心である12番目の徳目〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉から〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉へ続く部分。前述したように、これは「国家のために勇気をもって身命を捧げ、永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という意味だが、明治神宮の現代語訳では、〈非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません〉とあるだけ。「義勇」を「真心」と置き換える訳にもかなり違和感があるが、それよりもっと驚くのは、〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉の現代語訳、つまり「永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という箇所がすっぽり抜け落ちていることだ。
いや、この部分だけではない。実は明治神宮の現代語訳では、教育勅語の肝である「天皇のため」「皇室のため」という言葉は一切出てこず、他の表現もことごとくソフトになっている。
明らかに教育勅語が天皇支配強化、神格化という目的をもっていたこと隠すための詐術と思われるが、しかし、こうしたインチキな現代語訳を採用しているのは、明治神宮だけではない。明治神宮のHPに掲載された現代語訳の末尾には「国民道徳協会訳文による」との注釈がつけられている。つまり、訳文は明治神宮のオリジナルでなく、「国民道徳協会」という団体の訳によるらしい。そして、「教育勅語は悪くない」と復活を主張する連中の多くは、なぜか決まってこの国民道徳協会の訳文を持ち出すのだ。渦中の塚本幼稚園も、田母神俊雄もこの国民道徳協会の訳文を使っている。産経新聞の阿比留瑠比記者も13日、やはりこの訳文を提示して「どこが悪いのか」とがなりたてていた。
稲田朋美防衛相も国民道徳協会の訳文を根拠にしているひとりだ。稲田は8日の国会で「教育勅語の精神を取り戻すべき」という過去の発言を問われ、「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません」と答えていたが、教育勅語の原文に載っていない「道義国家」という言葉を使ったのは、国民道徳協会の訳文に基づいているとしか考えられない。
では、この国民道徳協会というのはなんなのか。何か公的な団体かと思いきや、そうではなかった。国民道徳協会は、戦後から1960年代頃まで自由党、自民党所属の国会議員だった佐々木盛雄なる人物がつくった団体で、佐々木はこの団体から『甦る教育勅語』(1972)という著書を自家出版。そこに書かれていた訳文がもっともらしく「国民道徳協会訳」として広まっているのだ。
佐々木は戦前、報知新聞記者で論説委員まで務め、戦時中は海軍大本営に従事。戦後、政治家に転身すると、ゴリゴリの右派として鳴らし、「学生暴動が起きるのは、教育勅語を廃止したせい」「家制度を廃止したから日本は弱体化した」「諸悪の根源は占領憲法」「国益を無視した個人の権利を主張するようになって一億総無責任」「マスコミは偏った思想を押し付けている」「日本は食糧難なのに朝鮮人、韓国人に生活保護を与えている、強制送還しろ」「デモを規制しろ」などと、籠池はじめ日本会議の連中の口癖とほぼ同じような内容を、50年以上も前にがなりたてていた。
この教育勅語の現代語訳もそのゴリゴリ右派の佐々木が、教育勅語を復活させるために意図的に天皇や皇室の部分を隠したマイルドな訳をつくり、それを発表したと考えられる。
実際、佐々木は『甦る教育勅語』のまえがきで「今日となっては、政府による正式復活は、悲しいかな不可能に近いだろう。だから、せめてわれわれ民間人の手によって、日本人の心の中に、在りし日の栄光と、権威を復活したいと念じるのであって、それが本書の目的」とつづっている。