いうまでもなく、政治家、役人、警察官などの公務員には、憲法を尊守する義務がある。にもかかわらず、その公務員がいま、市民が「9条」や「平和」「護憲」のメッセージを身につけているだけで“危険思想”扱いして排除に乗り出している。繰り返すが、そのような異常な事態が現実に起きているのだ。
この状況を見て、想起させられるのは、前述した戦前・戦中の状況、とくに1925年、治安維持法が制定されて以降に起きた事態だろう。同法は当初、天皇主権や資本主義を否定する運動を取り締まるものだったが、そのうち、反戦や人権尊重などを口にするだけで反政府的主張とみなされ、摘発・拘禁されるようになっていった。そして、その中央政府による恐怖政治の先兵となったのが、警察や地方行政、メディアだった。ようするに、その戦前・戦中の公権力の姿勢が復活しつつあるのだ。
しかも、唖然とするのは、マスコミがこうした状況に対して、ほとんど批判をしなくなっていることだ。前述した長崎の平和祈念式典で「改憲反対」を叫んだ男性が連れて行かれたのは、報道陣がこの男性を取材中の出来事だったが、驚いたことにその場にいた記者たちは一切、抗議しなかったという。それどころか、この一件を記事にしたのは、地元の長崎新聞だけ。全国紙もテレビもその事実を知りながら、一切報道しなかった。
これでは、警察がどんどんエスカレートとして、思想チェックのような行為を平気でやっているのも当然だろう。
本サイトでも繰り返し報じてきた「子どもたちを戦場に送るな」と言う教師を取り締まる“密告フォーム”の件もそうだが、これから日本は、「平和」や「反戦」「護憲」を口にするだけで、本当に“思想犯”として逮捕されるような時代に突入してしまうのかもしれない。
(野尻民夫)
最終更新:2016.08.13 06:04