子どもに対して「欠陥がある」という差別意識丸出しの表現も最低だが、体外受精でできた子どもの障がいや病気は自己責任だとワケのわからない論理をもち出すのだ。だいたい「体外受精という非常に計画的なやり方」などと言うが、体外受精は不妊治療のひとつであって、誰も自然妊娠より体外受精を好き好んで選択しているわけではない。自然妊娠で生まれたか体外受精で生まれたかによって、なぜ子どもの医療費が差別されなければならないのか。
しかし、曽野はそんな当たり前のこともわからないようで、さらにお得意の「権利」批判に踏み込んでいく。
「野田氏のように権利を使うことは当然という人ばかりが増えたから、結果として日本社会、日本経済はどうなるのだろう、という全体の見通しに欠けるのである」
つまり障がい者は高額の医療費がかかる。そしてその医療を負担することは国の健康保険を障がい者が破綻させる、国に迷惑をかけていると言っているのだ。相模原事件の植松容疑者の主張とまったく同じではないか。
もっとも曽野の差別意識丸出し、弱者排除の発言はいまに始まったものではない。昨年2月にはアパルトヘイトを擁護する発言で世界的に非難を浴び、近年も、産休制度を利用する女性社員を「迷惑千万」と切り捨て、エリート男性のセクハラを全面肯定し、中越地震や東日本大震災の被害者を国に頼り過ぎだと叱っていた。
しかもこのとんでもない差別思想の持ち主は、こうした思想を個人的に書き散らしているわけではない。安倍政権のもと教育再生実行会議などに名を連ね、自己責任や愛国教育を推し進めているのだ。
安倍政権は、教育政策の目玉としてこれまで「教科外活動」だった「道徳」を、成績評価対象の「特別教科」に格上げすることを決定した。教科化に向け、2014年から文部科学省は『私たちの道徳』なるタイトルの教科書を制作し小中学校に配布しているのだが、その中学生版に、このおぞましい差別思想の持ち主・曽野綾子が「誠実」のお手本として登場しているのだ。
自分の恵まれた環境を顧みることなく、弱者を叩き、国家に頼るなと自己責任を要求する。国家に貢献しない弱者は排除する。これは、まさに一昨日取り上げたネトサポをはじめとした安倍支持者と共通する心性であり、安倍政権としては、こんな曽野綾子こそが、学ぶべき教材、お手本とすべきモデルなのだ。
実際こうした差別思想は、曽野綾子だけに限ったことでない。石原慎太郎や石原伸晃、麻生太郎らは、過去に障がい者や高齢者に対して安楽死を口にしたり、「いつまで生きているつもりなのか」などといった暴言を吐いてきた。公職にある大物政治家や大物作家たちが公然と障がい者差別や排除を声高に叫ぶ日本。その歪んだ考えが蔓延した末に起こったのが今回の事件なのだ。