しかし、巨泉氏の警告も虚しく、「アベノミクス」を釣り餌に圧倒的な議席数を獲得した安倍政権は横暴な国会運営を開始。周知の通り、昨年はまともな議論に応じず、国民の理解を得られぬまま安保法制を強行採決させてしまった。
そんな状況下、巨泉氏は「週刊朝日」(朝日新聞出版)15年9月18日号で、自身の戦争体験を語っている。1934年生まれの彼が実際にその目で見た戦争は、人々が人間の命をなにものにも思わなくなる恐ろしいものだった。それは安倍政権や、彼らを支持する者たちが目を向けていない、戦争の真の姿である。
〈何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。
特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。
それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。
(中略)
ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」
どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである〉
しかし、立憲主義を揺るがすような国会運営をし、メディアに圧力をかけて「報道の自由度ランキング」が72位にまで下がるほどの暗澹たる状態に成り果てたのにも関わらず、先の参院選では改憲勢力が3分の2を超えれば遂に憲法改正に手がかかるという状況になった。
そんななか、巨泉氏の体調は悪化。3月半ばごろから体力の落ち込みがひどく、4月には意識不明の状態に陥り2週間ほど意識が戻らなくなったことで、5月からは集中治療室に入っていた。そして、前述した「週刊現代」の連載も、4月9日号を最後に休載となっていたのだが、家族の助けを受けて何とか書き上げたのが、7月9月号掲載の最終回。ここで巨泉氏は本稿冒頭で挙げた〈安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉という「最後のお願い」を読者に投げかけたのだ。