〈どれくらい病的かというと、「麻央ちゃんのためなら命も差し出せる」くらいでした。
だから、妹が海老蔵さんと結婚してそばにいなくなったとき、とても空虚な気持ちになりました。(中略)考えることといえば、「海老蔵さんはいいな。かわいい麻央ちゃんを独り占めしてずるい」というようなことばかり。
かなり荒んでいました〉
実際、麻央の結婚後には、一部報道で“麻耶が海老蔵・麻央夫婦の家に入り浸っている”と書かれたこともある。同書では、〈私が「病的に」愛していたことは、ときに妹には迷惑だったかもしれないといまは思います。それについてはちょっぴり反省しています〉と麻耶は語っているが、他方、妹の麻央は、同書にこんなメッセージを寄せている。
〈姉はときどき私に「どうしたら麻央ちゃんみたいに、人は人って思えるのかなあ」と言っていました。私がそう思えるとしたら、それは姉のおかげです。私には、どんなときも、良いときも悪いときも絶対に私を死ぬまで「好き」と大声で言い続けてくれるであろう姉がいたので、不安を覚えることがなかったのです〉
〈姉は私のような人と結婚したいと言っていますが、私もできることなら姉と結婚してあげたかった。だから、もし主人と出会わなかったら、姉と一生一緒に暮らしていたかもしれません〉
「姉と結婚してあげたかった」とはなかなか出てこない言葉だと思うが、それほどまでに麻耶が妹に対して「好き」と言ってきた証拠なのだろう。ただ、こんなに麻央という存在にこだわってきた麻耶は、はたして今回のがん闘病を、どのような思いで受け止め、妹の看病にあたってきたのだろうか。
前回の記事でも触れたが、同書のなかで麻耶は、“うまくいかない仕事から逃げるために結婚したいと思っているのではないか”と思い悩み、ついにはメンタルクリニックにまで通ったと告白している。ぶりっ子キャラのイメージゆえに図太い印象をもっている人も多いかもしれないが、このエピソードからも、彼女が何事も突き詰めて考える繊細さを感じさせるものがある。
実際、現在発売中の「週刊文春」(文藝春秋)6月16日号の連載エッセイで、麻耶が幼いころ母親が大量出血で倒れた際の、こんなエピソードを明かしている。
〈病院に運ばれる母を呆然と見送り、その後もしばらく、母を失ってしまうかもしれないという恐怖から病院にお見舞いに行くことさえできなかったことを、いまでもよく覚えています〉
このとき、母のお腹の中には麻央がいたといい、〈あのとき輸血をしてもらえたからこそ、私は母と一緒の生活を取り戻し、妹というかけがえのない人を得て、その後のたくさんの時間を共に過ごしてこられました〉と振り返っている。
かけがえのない人を失ってしまうかもしれないという恐怖。もしかすると彼女のそうした感情が、現在の体調不良の陰にはあるのかもしれない。──いまはただ、麻央の病状が好転し、姉妹そろって元気な姿を見せてくれる日がくることを祈るばかりだ。
(大方 草)
最終更新:2017.12.05 10:06