おそらく、今回浮上した高市氏の「闇ガネ」疑惑も、こうした圧力を恐れたマスコミは見て見ぬ振りをしているのだろう。そう考えると、仮に検察が動き出したとしてもマスコミが積極的に疑惑を追及する可能性は低い。たとえば高市総務相が記者会見で「記載がなかったのは単純ミス」などと釈明したら、一切の批判的検証をせずその言い分を垂れ流すのは火を見るよりあきらかだ。
前にも書いたことだが、現在血祭りにあげられている舛添都知事の場合、もともと安倍首相と不仲なこともあり、官邸はマスコミに事実上の“ゴーサイン”を出していて、すでに次の都知事候補者の選定も始めているとの情報も聞かれる。事実、安倍首相の右腕のひとりである萩生田光一官房副長官は、一昨日の5月15日、『新報道2001』(フジテレビ)に出演し「舛添都知事の会見は非常にわかりづらかった」と批判した。ようするに安倍政権にとって“舛添切り”は既定路線となっており、だからこそ、テレビも新聞も思いっきり舛添都知事を叩けるのだ。
しかし、高市総務相など閣僚、有力自民党政治家の場合、対称的なまでに沈黙する。しかも今回は自民党奈良県連が絡んでおり、各社が追及していけば連鎖的に新たな疑惑が浮上する可能性があるにもかかわらずに、だ。
繰り返すが、本来、メディアの役割は「権力の監視犬(ウォッチドッグ)」である。だが日本のマスコミは、権力に「待て」と言われれば下を向いてしゃがみこむ、いわば「権力の忠犬」だ。せいぜい、衰弱した一匹狼にたかって噛みつくことしかできない。どうやらそういうことらしい。
(宮島みつや)
最終更新:2016.05.17 09:27