遡れば、1993年、宝島社が発行していた雑誌「宝島30」に、現役の宮内庁職員であるという人物が「皇室の危機」という手記を寄稿したことがあった(93年8月号)。「大内糺」という著者の仮名から「大内手記」とも呼ばれたこの記事は、昭和天皇を崇拝する守旧派の職員が天皇一家や美智子皇后の姿勢が「皇室の伝統に反する」として批判したものであり、大きな話題となった。これに続いて、「週刊文春」も守旧派の立場から美智子皇后のバッシングキャンペーンを大々的に展開(同年9月16号など)。さらに他の出版社も便乗するなど、右派からの皇室批判が一種の社会現象になったのだ。
しかし、同年11月、当時の宝島社社長宅や文芸春秋社社長宅が、右翼団体から銃撃を受ける事件が発生。つまり、右派からの批判に対する、右翼の言論テロであった。
では、この右派あるいは右翼と呼ばれる陣営の皇室における姿勢の違いは、どこにあるのか。前述した「大内手記」掲載後、「宝島30」94年1月号で、昨年、脱右翼を宣言した民族派団体・一水会の木村三浩氏が“3つの考え方”について説明している。
その1つ目が、〈天皇陛下と皇室の尊厳は絶対である。たとえどんな形態になろうとも、陛下御自身が選ばれた道なのだから、最後まで忠誠を誓ってついていこうという立場〉であり、これを「尊皇絶対派」とよぶ。
2つ目が、〈天皇陛下が自ら選ばれたことでも、それが伝統と大きくかけ離れているとすれば、諌めて正すべきだという考え〉だ。これを「諫言・諫諍派」あるいは単に「諫言派」という。
そして3つ目が、〈一生懸命に諫言しても、聞き入れていただけなかったらどうしたらいいのか。天皇陛下の御意志についていけない〉という考え方で、これを木村氏は儒教で君主を変えることを意味する「放伐」に近い、と語っている。
この分類で考えると、おそらく、今回ワックを“襲撃”した右翼団体関係者は「尊皇絶対派」にあたると思われる。
しかし、「WiLL」や掲載記事の対談者である西尾氏と加地氏が、そのタイトルにあるように「諫言派」、あるいは「放伐派」なのか、というと、これはそれ以前の問題だろう。