しかも義家副大臣は、組体操をこう称賛する。
「(組体操は)自分も小中学校で行ったし、小六の息子も去年やった。五~六段の組み体操で、息子は負荷がかかる位置にいて背中の筋を壊したが、誇らしげだった。全校生徒が羨望のまなざしで見る中で、「ここまで大きくなった、見事だ」と私自身がうるうるきた」
「仲のいい子、体力がある子同士で組み、余った生徒たちがペアを組まされることがあり得る。最上段にはバランス感覚がいい人間が上がらないといけない」
組体操は人間の連帯であり、感動を生む。だから学校教育の場では実践されるべき種目だ──。義家副大臣はそう胸を張るのだが、この認識こそが組体操の事故を増加させている要因そのものだ。
組体操事故の実例と背後にある問題を追及している教育学者・内田良氏の著書『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』(光文社新書)によれば、組体操は現在、幼稚園から高校までで行われ、年々、巨大・高層化しているという。しかし、じつは組体操は〈文部科学省の学習指導要領には記載がない〉。同じように事故のケースが多い跳箱運動やバスケットボールは小学校の学習指導要領に明記されているが、〈組体操だけが学校で教えられるべき事項として位置づけられていない〉のだ。
組体操は、戦後まもなくの時期には〈小中高すべての学習指導要領に記載があ〉ったが、死亡や重度障害の事例が後を絶たず、訴訟に発展することもあり、〈おそらく組体操の文化は少しずつ、衰退していったものと推測される〉という。それが2000年代に入ってから組体操は“復活”した。
〈組体操において、子どもたちは痛みや恐怖を感じる。だが、それは他者のためであり、そのようにして皆で相互に耐えることで1つのものをつくりあげていくという教育的物語が、そこにある〉
内田氏によれば、組体操を支持する教員たちは「感動」「一体感」「達成感」を口にする、という。義家文科副大臣とまったく同じ理由で組体操を肯定しているのである。