飯島マネの功績を踏みにじりる“つくられたシナリオ”の行方は…
芸能マスコミによるSMAP 解散報道は予想通りのシナリオで進んでいる。SMAP育ての親・飯島三智マネージャーを「クーデターの首謀者」と一斉に糾弾し、彼女と行動を共にしようとした中居正広ら4人のメンバーについても「今は後悔しているようだ」「土下座して詫びるしかない」などと、悪者扱い。そして、残留を決めた木村拓哉を「スジが通った行動」と賞賛しまくる──。
こうした報道がジャニーズ事務所・メリー喜多川副社長の意向に丸乗りした情報操作であり、まともに論じるようなシロモノでないことはよくわかっているつもりだが、それでも、つい反応してしまうのがこの間、スポーツ紙やネットニュースでやたら使われる「恩義」という言葉だ。
中居らはジャニーズに育ててもらった恩義を忘れていた、ジャニーズあっての自分たちだということをわかっていなかった、そして、木村だけがジャニーズに受けた恩義に報い、残留を決めた……こうした妄言が垂れ流されるたびに、「お前らは本当にSMAPとジャニーズの歴史を知っているのか」と、突っ込まずにはいられなくなるのだ。
はっきり言っておくが、SMAPというグループがジャニーズ事務所から受けた恩義など、1ミリもない。そんな、当たり前のこともわかっていない頭の悪いスポーツ記者のために、改めて説明しよう。
SMAPが結成されたのは、1988年。もともと彼らをジャニーズ事務所に入れ、SMAPを組ませたのは社長のジャニー喜多川氏だが、扱いはひどいもので、ジャニー喜多川社長もメリー副社長からもほったらかし。しばらくたなざらしにされていた。
91年、ようやくCDデビューを果たすが、すでに光GENJIのブームは終焉。芸能界全体が“アイドル氷河期”に突入しており、歌番組も数を減らし、バーターでブッキングしてもらえるような先輩もいなかった。
まともな売り込み、プロモーションもしてもらえず、CDは鳴かず飛ばず。途中からは、ジャニーズ出版という別会社に所属を移され、マネージャーすらつけてもらえず、一時は解散寸前の状態に追い込まれていた。