こうした学校側の説明に、菊池は「みっともないほど泣き崩れました」と述べる。もちろん、菊池には経済的に家庭教師をつけることは難しい話ではない。 〈でも、平等に開かれた義務教育の期間に理不尽な思いをする子どもたちがいると知ったからには、うちの娘だけがよければいいと納得するのは、どうしても許せませんでした〉と言うのだ。
〈家庭教師が必要ということは、それぞれの家庭の状況によっては、お金が出せなくてあきらめるとか、そういうことになります。
障がいのある子どもたちも、将来に大きな夢や希望は抱くべきです。
家庭教師の費用が出せるか出せないか、生まれた家の資産や保護者の所得で、教育が受けられるかどうか、そして子どもたちの人生が変わるというのです〉
結局、長女は国立大附属の特別支援学校に編入できるクラスを見つけ、そこで熱心なサポートを受けることができた。しかし、菊池は“ウチはうまくいって良かった”では終わらなかった。ハンディキャップのある子もない子も同じように夢がもてるような教育を──。その意識は“もっと勉強したい”という思いにかたちを変えていった。そうして菊池は、法政大学大学院・政策創造研究科に入学するのだ。
子どもの送り迎え、仕事、大学院。そのなかで菊池が研究テーマにしたのは、「特別支援教育を受けている障がい児童と、普通教育を受けている健常な児童、それぞれの保護者が、教育に何を期待しているのかという検証」「双方が同じクラスで学ぶ混合教育が、将来のキャリアに及ぼす影響を、保護者はどう考えているかについての意識調査」だった。
こうした実際の経験と、そこで抱いた問題意識こそが、現在の「1億総活躍国民会議」における発言につながっているのだ。
本書を通して菊池が伝えたいこと。それはハンディキャップをもった子を育てる親たちへのエールという側面もあるかもしれないが、それだけに留まらず、“みんなが生きやすい世の中にするためには、ひとりひとりが考えることが大切”というメッセージもあるはずだ。
しかも、菊池は芸能人であること、すなわち社会に広く問題を伝えることができるという自覚ももっている。そういう意味では、芸能人だからこそ障がいの話を隠してはいけない、という思いもあるのではないだろうか。西川のように、子どもの障がいを利用していると言われることは百も承知。でも、ハンディキャップがあることが当然のようにマイナス要素として語られる社会のあり方を変えたい……菊池はそこまで考えて、今回、告白本を出版したようにも思えるのだ。
「1億総活躍国民会議」もそうだが、偏狭な芸能界に風穴を空けるためにも、菊池の奮闘を応援したい。そしてこの本は、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思える一冊だ。
(大方 草)
最終更新:2015.12.21 07:53