〈森元首相は講演の中で、当時の建設費の試算を1000億から1500億円と示した上で、「折半から『東京都は3分の1くらいかな』という話が、今でもなんとなく500億(という話)で残っている」と話した。〉
だが石原元都知事はそれを完全否定。実際、この500億円拠出の約束は、もっと前、東京都が2016年大会で五輪誘致を目指した際に、晴海に建設計画がもちあがった都立の競技場の話であり、森氏は話を明らかにすりかえていた。
しかし、この発言であたかも500億円拠出が既定路線であるかのように独り歩きし、文科省もまた都の負担にこだわり続けていく。もちろんその理由は財政のメドがほとんど立っていなかったことだ。そのためtotoの対象を野球にまで拡大するという検討や、キールアーチや開閉式屋根を諦める案、また五輪後は野球場に改修してプロ野球チームを誘致するという驚きの計画まで検討された。
実際、下村大臣は6月頃、ザハ・ハディド案を捨て他の案で見直すよう安倍首相に進言したという。しかし安倍首相は工期の問題や変更が国際公約違反になることなどから、この時には見直しの結論を出すことはなかった。だが、安倍首相の判断にも森氏の存在があった。
〈決定的だったのは、組織委員会会長でもある森喜朗元首相のひと言だったようだ。森元首相に近い関係者によると、下村大臣は、“槇案”(槇氏が提案していたコストダウン案)の検討を踏み込んで明言した、あの記者会見の翌日の6月23日、“槇案”に変更してはどうか、森元首相のもとへ説明に訪れた。だが、森元首相からは、やはり『国際公約違反』になることへの危惧や、見直しによって工期が間に合わなくなることへの懸念が示され、変更に同意は得られなかった。〉
計画変更に大きな足かせとなった“工期”だが、もちろんこれも森氏と大きな関係がある。それが2019年に予定されているラグビーW杯だ。
〈そもそも新国立競技場建設は、このラグビーW杯が大きな後押しとなって検討された。森喜朗元首相らが音頭をとり、超党派の議員連盟が2011年、国立競技場を8万人規模に整備するよう求める決議を採択した。〉
森氏はよく知られているように五輪組織委員会長だけでなく日本ラグビーフットボール協会の名誉会長でもある。ラグビーW杯の日本開催、そして新国立競技場をメイン会場にすることは森氏の悲願であり、そのため新国立競技場の巨大化と無謀な工期に最もこだわったのが森氏だった。つまり全ての元凶、足かせ的存在こそ森氏だった。
〈下村大臣のこの(6月29日の)説明によれば、抜本的修正に踏み切れなかった大きな原因は、工期と国際公約ということだった。特に工期については、やはりラグビーW杯の条件を外せなかったことが響いた。〉