「さきほど私の指導について周囲からまずいんじゃないかという声が聞こえてきたといいましたね。先生同士の間で齟齬があったり、疑義や互いに批判すること、『こんなやり方は間違っているのではないか』という思いを抱くことは私も含めて珍しいことではないのです。ただ一点、生徒の前で他の先生の悪口を言わないこと。これは気をつけましたよ」
これ以上引用する必要はないだろう。ようするに、義家氏のあけっぴろげな“体罰には教育的効果があるのでOK”という暴論を見事に“スルー”しているのである。その後、対談は「正常な教育現場をおかしくする勢力」(馳氏)つまり、おきまりの戦後民主主義教育批判へとシフトし、体罰の話題は消えるのだが、やはり、こうして詳細に読んでいっても、当時の馳氏が生徒への強烈な暴力を反省していると感じさせる文言は一切ない。義家氏にいたっては、「身体を通して教える場面というのはあり得る」とハッキリと体罰を肯定しているのだ。
読者もお分かりいただけただろう。こんなふたりが、文科省のトップに居座っているのだから、本当に恐ろしい限りである。しかし、気になるのは、マスコミは会見での馳氏の言い分を垂れ流すだけで、一切厳しい追及を見せようとしないことだ。しかも、義家副大臣はもっとひどい体罰容認発言をしているのに、今のところ追及の姿勢を見せていない。
この問題を放置し続けることは、体罰を消極的に容認するだけでなく、この国の教育全体を暴力支配に委ねることを意味する。馳氏、義家氏のふたりを、そして彼らを任命した安倍首相の責任を、厳しく追及していかねばならないだろう。
(宮島みつや)
最終更新:2015.10.13 10:31