そして、この亀倉が手がけた1964年の東京五輪のエンブレムデザインも日の丸をモチーフにしているだけで、デザインそのものは、日の丸を幾何学模様のひとつととらえた、バウハウス的なモダンデザインそのものだった。
つまり、今回のコンペ参加者も亀倉のデザインを引き継ぐという時点で、シンプルな幾何学的図形をモチーフにせざるをえなかったのである。当然、それは「どこにでもあるありふれたデザイン」「凡庸で保守的なデザイン」になってしまう。そして、起こったのがパクリ疑惑だった。
そう考えると、今回の2020年東京五輪のエンブレムが罪なのは、そのデザインの凡庸さゆえに類似作品をいくつも呼び込んでしまっただけではない。亀倉、永井と続いてきたグロテスクな日本の五輪デザインの歴史を断ち切れなかったことにある。
そもそも、1964年の東京五輪のデザインは広く言われているような、日本の伝統とモダンの融合などではなかった。日本の伝統の要素は日の丸にしかなく、他はすべて欧米のモノマネという、まさに明治以降のフィクショナルな国家主義しか体現できていないものだった。そこには、本来、日本という国がもっている多様性も柔軟性もない。オリンピックは「都市」で開催される祭典なのに、前面に出されているのは国家と国旗。ちなみにこの50年で、国旗の図案をストレートにオリンピックのエンブレムにもってきたのは、東京五輪と札幌冬季五輪だけだ。
そして、佐野研二郎が手がけた2020年の東京五輪のエンブレムデザインはその国家主義的デザインを踏襲し、さらに押し進めたものだった。
ハートの鼓動と言っているが、明らかに日の丸としか思えない赤い円。前述したように、大きな円がインクルーシブな世界を表現しているはずなのに、日の丸はその円からはみ出ている。さらに、ダイバーシティ(多様性)を象徴するのが、それぞれの色を尊重する表現ではなく、すべての色をかけあわせたという黒。もしかしたら、「八紘一宇」でも表しているのか、と疑いたくなるほどだ。
日本はこの時代に、本気でこんなシンボルを掲げて、オリンピックを開催するつもりなのだろうか。
もっとも、2020年東京五輪が安倍政権下で開催され、安倍首相の親分・森喜朗が組織委員長を務めている祭典であることを考えると、このデザインこそふさわしいとも言えなくもないが……。
(酒井まど)
最終更新:2015.08.02 11:38