しかも、マスコミは今回、もうひとつ隠していることがある。今回の東芝の“不適切会計”は「事業の選択と集中」を行った「非常識経営」の異端児・西田厚聡(パソコン事業出身)が05年に社長に就任したことがきっかけとされている。08年9月のリーマン・ショックを発端とする事業環境の急激な悪化に対し、「死に物狂いでやってくれ」「事業を死守したいなら、最低100億円やること」(09年1月の会議)と叱咤するとともに、アメリカ流の当期利益至上主義を推し進めた。
その結果、「とにかくこの会計期間に利益を達成しなければならないという当期の利益至上主義」(第三者委員会・上田広一委員長)が企業風土となり、社内では会計操作が横行したという。
しかし、実際に粉飾決算をエスカレートさせ、巨大な規模にしたのは、その後の社長職をひきついだ佐々木則夫だった。11年から12年は“不適切会計”が幅広く行われた。決算期末までの3日で利益120億円の利益改善を迫り、13年3月期にはパソコンなどの部品取引で約310億円の利益を過大計上されたほどだ。
そして、この佐々木前社長の行為は11年の東日本大震災以降の原発事業の不振をごまかすためだったと見られているのだ。
東芝の事業の二大柱は、半導体と原子力発電なのだが、佐々木前社長は原子力事業一筋でのしあがってきた人物。たとえば、東芝は06年、相場の3倍以上の約6000億円を用意し、原発製造大手である米ウエスティングハウス社(WH社)を買収したが、その立役者が佐々木前社長だった。
「週刊ポスト」(小学館)7月31日号「東芝『骨肉の人事抗争』20年全内幕」は、「佐々木さんは社内で『原発野郎』と揶揄されるほど原子力以外には詳しくないとの評が多く、語学も苦手で海外出張にはほとんど行かなかった」という同社の中堅幹部のコメントを載せている。
09年の社長就任後は「原子力事業で売上高1兆円」という目標を掲げ原発ビジネスに邁進するも、11年の東日本大震災、東京電力福島第一原発事故発生。しかし、その直後でも「日経ビジネス」(日経BP社)11年8月29日号「編集長インタビュー 原発の世界需要揺るがず」では、「(原発市場は)縮小というより、増えるのではないですか」「原発事業がなくなるとは思っていません。当社の原発関連売り上げの7割は海外向けです。国内でも、原発のメンテナンス売り上げが減って、3割のうち3分の1がなくなるとしても、海外も含めた全体で見れば10%減少にもならない」と海外展開を続けることを明らかにした。