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「エボラ上陸騒動」で感染疑いのジャーナリストを叩く安倍支持者の幼児性

 そういえば、今回のエボラ騒動では、幼児的なパラサイトナショナリズムの典型である安倍首相支持者たちも大活躍していた。

 産経新聞がこのジャーナリストが「日系カナダ人」であると報道してから、ネトウヨが「ニューヨークタイムズ」のノリミツオオニシ記者ではないかという噂を流布。オオニシ記者が2007年に安倍首相の批判や従軍慰安婦問題の記事を書いていたことを結びつけ、凄まじいバッシングを展開しているのだ。

 オオニシ記者が「在日」であるというお決まりのヘイトスピーチはもちろん、「体の不調はないとウソの申告をしてサーモグラフィで発熱がバレた」「エボラ感染者と接触ないと申告したが、実際は患者の取材をしていた」といったデマを垂れ流し、「どこまで日本に迷惑かけるんだ」「反日の人間を国外追放しろ」、あげくは「反日NYTが送り込んだテロだ」と攻撃する。偶発的な事態と政治的なイデオロギーの区別がつかなくなっているのである。

 しかも、こういうことをいっているのはそのへんの頭の悪いネトウヨだけではない。オオニシ記者がジャカルタでの日本軍による従軍慰安婦連行を報道したことに対して「もし末端の兵士の強姦事件に日本政府が70年後も責任を負うなら、オオニシが日本にエボラウイルスをばらまいたら、NYTは70年後も賠償しなければならない」などとむちゃくちゃな論理を口にしている池田信夫はじめ、保守論客、保守メディアの間でも、オオニシ記者の慰安婦報道のスタンスとエボラ取材を強引に結びつける論調が出てきている。

 この記者がオオニシ氏かどうかは現在のところまだ確定していないが、仮にオオニシ氏でなかったとしても、ネトウヨや安倍首相支持者が、エボラの取材にリベリアに出かけようとするジャーナリストにヒステリーを起こす構造は変わっていなかっただろう。

 世界で起きていることをこの目で見て取材し、自分ごととしてとらえようとする人間と、一国の、自分たちに都合のいい価値観だけにしがみつき、別の視点からの意見を「反日」「売国奴」として排除しようとする政権やその支持者は、完全に対極の関係にあるからだ。
 
 そして残念ながら、この国では後者の意見が圧倒的な正義として流通し始めている。

「祖国が甘美だと思う人はいまだくちばしが黄色いものにすぎない。そして、すべての土地が祖国であると思える人は力強い人だ。しかし、全世界が流謫の地であるという人こそ完全な人である」

 これはエドワード・サイードも引用したフーゴーの『ディダスカリコン』の一節だが、この言にならえば、日本は「くちばしの黄色い」幼児的な正義に支配されつつあるということだろう。
(エンジョウトメ) 

最終更新:2015.01.19 04:50

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