堀江に言わせれば、戦争は「完全に経済の問題」であり、近代化を成し遂げた社会では「コスト」に見合わないから必然的に回避されるらしい。しかも、現在は無人兵器なども存在することから、ひとりあたりの装備や保証金に莫大な金額のかかる兵士の徴用は控えるだろうと踏むのである。つまり、もっぱら人間は経済的効率性を最優先にするものであり、ゆえに明らかに“損”が予想される行動をとるはずがない、という理屈だ。
だったら、なぜ今なお世界中でこれだけ戦争が起きているのか、説明してほしいところだが、ホリエモンはゆるがない。寂聴から「そのコストを計算できない人たちじゃないの? あの人たちは」とつっこまれても、「いや、コストで動きますよ。彼らができないんじゃなくて、経済的にそういうふうな状況になっていくんですよね」と自説を曲げようとはしない。
それでいて、ホリエモンはこんな発言もしている。
「僕は、(中略)戦争が起こったら、真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ」
これに驚いた寂聴は「どこに逃げられる? 逃げる場所がある?」と聞くが、ホリエモンは「逃げる場所あるでしょ。第三国に逃げればいいじゃないですか」と、淡々と返す。
そして、寂聴から「行かれない人はどうするのよ」と突っ込まれると、ホリエモンは平然とこう言い放ったのだ。
「行かれない人はしょうがないんじゃないですか?」
一時は国政選挙に出馬して、政治家になろうとした人間が、まさかの「オレは逃げるけど他の人は知らない」発言。その利己的な姿勢には絶句するしかないが、しかし、考えてみれば、これこそがホリエモンらしいともいえる。
もともとホリエモンは徹底したリバタリアンであり、彼にとっての関心事はグローバル化する世界の中で企業や個人がどんな経済活動をしていくか、その一点だけだった。国家なんてものは全く価値がないばかりか、それを阻害する邪魔な存在でしかなかった。だからこそ、一貫して規制緩和を叫ぶ一方、弱者には冷淡ですべて自己責任という形で突き放すような発言を繰り返してきた。そういう人間が、戦争が起きたらどうするかと問われたら、こんな回答になるのはある意味、当然といえるだろう。
それに、戦争になったら国民を戦わせて自分は逃げ出す、というのは、今、「国民は国を守る意識を持つべき」「愛国心教育が必要」などといっている政治家や右派メディアも同じだ。そのことは先の大戦のときの軍部や政治家の行動を見れば明らかだろう。そういう意味では、「僕は真っ先に逃げますよ」と率直に本音を語っている分、ホリエモンの方がはるかに誠実といえるかもしれない。