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『花子とアン』村岡花子の戦争協力 なぜ女性が戦争に加担してしまう?

 しかし、戦争に積極的だったのは、もちろん花子だけではない。ドラマのなかでも売れっこ作家の宇田川満代(山田真歩)が従軍記者となって気炎を揚げるようすが描かれているが、実際、少女たちに絶大な支持を得ていた人気作家・吉屋信子や、『放浪記』で有名な林芙美子も従軍記者として戦地に赴いている。その上、日露戦争時には「君、死にたまふことなかれ」と歌った与謝野晶子や、日本のフェミニストの先駆者である平塚らいてう、市川房枝といった人物たちでさえ、先の戦争に協力的だったのだ。

 なぜ、家父長制を真っ向から批判し、恋愛の自由を掲げた“新しい女たち”が、家制度を基盤とした戦争に加担していったのか。その理由のひとつは、当時の婦人運動の大きな軸となっていたのが参政権の獲得だったからだ。女性も政治に参加する、すなわち戦争を担う一員として国民国家を目指す。市川は女性が社会に“認められる”存在になるべく、戦争協力の道を選んでいったのだ。他方、“母性主義”を掲げていた平塚は、子を産むことで国家に貢献するという母性的天皇制に絡め取られ、国体思想に傾いていく。

 女が“国民”になるために──当時の国家総動員体制のなかで、女たちは戦争への加担を選択した。だが、選挙権を獲得し、男女平等が謳われる21世紀の日本でも、「お国のために」運動する女性は存在する。愛国活動歴12年の著者が書いた『女子と愛国』(祥伝社)によれば、いま、愛国活動に勤しむ女性が増えており、「それも二〇代、三〇代の若い女性」だという。

「武器は持たずとも、現代の愛国女子は闘っている。その気持ちの源泉は、家族を守りたい、安全に暮らしたいという気持ちだ。その意味では、戦前も戦後も、女性が安全や無事を思う気持ちは変わらない」(同書より)

 同書に登場する“愛国女子”たちは、異口同音に「この国を護りたい」という。そして著者は、このように締める。「この国を支えていく次世代を育むことは、男性にはできない、女性ならではの仕事である。こうして日本は女性の力で導かれてゆく。愛すべき日本の将来は女性の手にかかっているのだ」と。

 まるで戦争を推し進めていった戦時下の女性たちの声かと見紛うような言葉の数々──。だがこれは、何も不思議な話ではない。女性が“国民”になるために、戦争に協力していった過去のフェミニストたち。片や、現在の国に誇りを持ちたい、国を守りたい、そのためには“弱い国ではいけない”と考える21世紀の愛国女子たち。時代背景や動機は違っても、女性が主体的であろうとするとき、国家はそれを巧みに利用し、のみ込んでいく強大な力をもっている。社会学者の上野千鶴子は、『ナショナリズムとジェンダー 新版』(岩波現代文庫)に、こう綴る。

「ここで忘れてはならないのは、「女性の国民化」プロジェクトは、当時の女性運動家たちにとって少しも「逆コース」でも「反動」でもなく、「革新」と受けとめられていたことである。女性の公的活動を要請しかつ可能にするこの「新体制」を彼女たちは興奮と使命感を以て受けとめた」

 わたしたちは知っている。戦争の、非道で、過酷な結末を。『花子とアン』135話のなかで蓮子は「戦争をしたくてたまらない人たちは国民を扇動しているのよ」「わたくしは戦地へやるために純平を産んで育ててきたんじゃないわ」と花子を責めたが、その台詞の重さを、未来にいるわたしたちはすでに知っているはずなのだ。

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