前述したように、政治資金収支報告書への不記載は明確な犯罪行為だ。それを萩生田氏はあたかも義理堅さゆえにルールに従ってきたのだとアピールし、罪の大きさを認めるでもなく「恥ずかしい思いをしている」などと言い募っているのである。
しかも、裏金の金額が大きかった点を指摘されると、萩生田氏は「安倍派ではコロナ禍の状況をかんがみて、パーティ券の販売ノルマを減らしたことを、事前に事務所担当者が知らなかったという事情もある」などと反論。「もし当時、私が派閥の運営に関与してそれを知っていたら、そんなに頑張って売る必要はなかった。結局、歴代の事務総長たちは全然(ノルマを)オーバーしておらず、我々だけが一生懸命売って、手元に残ったという思いが残ります」と被害者ぶるのだ。
さらに、萩生田氏は、「年末年始もこれだけ批判をされてお詫びをしてきたという点では、一定の社会的制裁を受けたと思います。立件されなかったのに、検察が期待値を上げたことで『この人たちは悪いのに助かった』みたいに思われるのは、すごく理不尽な話です」と逆ギレ。こんなことまで言い出すのだ。
「自民党は、失敗は失敗としてもう少し寛容に、「まずかったけど頑張れよ」と言ってくれる政党かと思ったら、党内からも「処分、処分」と言われて……」
「“生贄”を出さないと終わらないような雰囲気になっていて、ちょっと寂しいなと思います」
萩生田氏の裏金不記載額は“立件スレスレ”ラインであり、「検察は萩生田氏を立件しないで済むように裏金の下限を3000万円に設定したのでは」と囁かれたぐらいだ。つまり、政治資金規正法がザル法であるために立件されなかっただけだというのに、明確な国民に対する背信行為をはたらいておきながら、「すごく理不尽」だの「寛容さがなくて寂しい」だのと言い張る……。図々しいにもほどがあるだろう。
本来、これらの無反省な発言の数々だけでも辞職ものだが、問題は、なぜか萩生田氏に対する追及が “その他大勢”と同じ通り一遍の報道に終始していることだ。
萩生田氏は安倍派5人衆の立件見送りが報じられたあとも直ちに会見を開かず、地元の八王子市長選の投開票後になってようやく開催するという姑息な手段に出たが、そのことに対する批判も巻き起こることはなかった。一応、訂正後の収支報告書が「不明」だらけになっていることは報じられたが、今回の「文藝春秋」誌上での開き直りや愚痴発言は、大手メディアではほとんど報じられていない。
いや、今回の裏金問題だけではない。マスコミの萩生田氏に対する弱腰ぶりは2022年に大きな騒動になった統一教会問題でも見られた。
参院選の公示直前に生稲晃子氏とともに八王子の統一教会施設を訪問していたほか、萩生田氏が統一教会の施設で「一緒に日本を神様の国にしましょう」などと講演していたことや、教団イベントで“四つん這い”になる礼拝をおこなっていたという証言が飛び出すなど、萩生田氏と統一教会のズブズブの関係が明らかになったが、ある時期を境に報道量がガクンと減り、萩生田氏に対する追及報道はフェードアウトしてしまったのだ。