もうひとつ、菅前首相の弔辞が問題なのは、安倍氏と山縣の短歌のほんとうのかかわりをネグって、インチキなドラマチック演出をしていたことだ。
菅氏は、安倍氏の議員会館の部屋の机に読みかけの『山縣有朋』があったと言い、山縣の歌が載っていたページの端が折られ、歌のところにマーカーが引かれていたことから、そのページが銃撃される前に安倍氏が「ここまで読んだ、という、最後のページ」だとしていた。まるで読みかけのまま銃弾に倒れた安倍に導かれ、自分の心情を表す短歌に出会ったとでも言いたげに。
だが、実際の安倍はこの『山縣有朋』を読みかけのまま倒れたわけではなく、とっくに読み終えていた。そもそも、前述したように、安倍氏が葛西氏からこの本を薦められたのが2014年末。いくら勉強嫌いで知られる安倍氏とはいえ、8年近く経つのにまだ読みかけということはないだろう。
実際、安倍元首相は2015年1月12日のFacebookで、週末三連休を河口湖の別荘で過ごしたことを報告した上で、岩波新書版の『山縣有朋 明治日本の象徴』の表紙の写真とともに、〈読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。〉と投稿。〈伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠みその死を悼みました。〉とくだんの歌も全文を引用して紹介している。
それから7年半経って銃撃される前、議員会館の机の上にほんとうにこの『山縣有朋』があって、ページの端が折られ、歌のところにマーカーが引かれていたとしたら、それは「読みかけ」で「ここまで読んだ」という印ではなく、自分が銃弾に倒れる3週間前に葛西名誉会長が亡くなった際、葛西氏の「追悼」に使おうと、歌のところを“お勉強”し直したと考えるのが妥当だ。
「葛西さんが亡くなったし、追悼文、考えなきゃ。そういえば、葛西さんに薦めてもらった山縣有朋の評伝に、伊藤博文を偲んで詠んだ歌が載っていたな、あれ、使おう。ああ、ここここ」という感じだったのではないか。
ところが、菅氏はそれをあたかも、安倍氏が銃弾に倒れる前、最後に読んだ本、ちょうど読みかけの最後のページにということにしてしまったのだ。
菅前首相も、安倍元首相ほどではないが、葛西氏とは近く、安倍氏が自民党総裁に返り咲いた直後の葛西氏との会食にも同席している。普通に考えれば、安倍氏が葛西氏の追悼に山縣の歌を使っているのは知っていたはずだ。どう考えても事実を知りながら美談仕立てのためにしらばっくれたとしか思えない。