たとえば、安倍前首相は「1年延期」問題についても〈大切なのは中止することではなく、安全で安心な大会を開いて多くの人々に感動を与えることだと考えました〉と無茶苦茶な正当化をした上で、〈そうした経緯があっただけに、東京五輪が無事に開催されたことは感無量です〉と記述。本日27日時点でオリパラ関係者のコロナ陽性者数は累計759人にものぼり、ついにはコロナ陽性のパラ関係者が入院となったというのに、いまだに「安全で安心」「無事に開催」などと主張するのである。
さらに、安倍前首相といえば東京五輪開幕前には「反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています」と言い放ち猛批判を浴びたが、いまごろになって〈今回も感染が拡がるなか、国民の皆さんが「果たして大丈夫か」と心配されたのは当然のことです〉などと言い出す始末。
しかも、実際にその国民の心配は的中して感染が拡大、直ちに治療を受けるべき患者がそれを受けられず自宅で亡くなるという医療崩壊に陥っているいるが、そんな状況下でも安倍前首相は、政治家として信じられないようなことを口にするのだ。
〈まさにオールジャパンで成功に導くことができた。日本の努力を称賛する海外メディアの報道などを見て、本当に嬉しい気持ちになりました。〉
入院すべき患者が入院できないという悲鳴が轟く最中に、「五輪は成功し、海外メディアにも褒められて嬉しい!」と無邪気に口にする、この神経──。だいたい、腰砕けの国内メディアとは違い、海外メディアは東京の感染者増や「バブル方式」のザルっぷり、ラムダ株の国内初確認を隠蔽していた問題を追及するなど東京五輪に厳しい視線を向けていた。だが、安倍前首相のなかではそうした報道はものの見事に“なかったもの”扱い。「称賛されて本当に嬉しい気持ちになった」と、事ここに至っても“日本スゴイ”というネトウヨ感性を爆発させるのである。
さらに、とどめの一言がこれだ。
〈コロナ禍において、私たちは会合や会食を控えなければならず、仕事でも日常生活でもリモートでのコミュニケーションを余儀なくされています。人と人とのリアルな交わりが希薄になるなか、スポーツがもたらす感動は私たちを一つに結びつけてくれた。表彰台で日の丸が掲げられ、君が代が流れる──感動を分かち合うことで、日本国民の絆はいっそう強固なものとなります。思い出の共有はアイデンティティに向き合い、日本人としての誇りを形成するうえでも欠かせない要素です。〉
「新規感染者数、最多更新」というニュースが読み上げられるその最中に「金メダル獲得」のニュース速報が覆いかぶさる異常な光景が繰り広げられたように、東京五輪によって多くの国民は引き裂かれた。それはいま開催されているパラリンピックでも同じだ。しかし、そうした国民を苦しめる現実には一切目を向けず、安倍前首相は「表彰台で日の丸が掲げられ、君が代が流れることの感動によって日本国民の絆はいっそう強固になった」とはしゃぐだけ……。