「命」といえば、体操の内村航平選手も同様の発言をしていた。今年1月、「もしこの状況で五輪がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない」「それだけ命かけてこの舞台に出るために僕だけじゃなく東京オリンピックを目指すアスリートはやってきている」などと発言したのだ。
内村選手はほかにも「“できない”ではなく、“どうやったらできるか?”を考え、どうにかできるように考えを変えてほしい」だのと口にしてきたが、結局は自分の努力を披露する場のことしか頭になく、この世界的パンデミックで大げさではなく「死ぬかもしれない」状況に置かれている人がごまんといる現実や、五輪開催がさらなる感染拡大の引き金になるという指摘の重大さがわかっていない。五輪代表選手という選民意識、スポーツ至上主義と言われてもしようがないのではないか。
アンフェアな状況下での「僕らにとってマイナスではない」という久保選手の発言しかり、世界中で400万人以上がコロナによって死亡している現実のなかで「選手も命がけ」「死ぬかも」などと軽々しく口にする吉田選手や内村選手。──そもそも不公平な大会になることを理解しながら開催を強行した政府や組織委、IOCの「不公正さ」も重大な問題だが、こうした日本代表選手たちによる不公正や不条理を疑わない「社会への視点の欠如」も、大きな問題だと指摘しておきたい。
(編集部)
最終更新:2021.07.21 10:26