その上、ひどかったのは“逆ギレ会見”を受けた翌5日の朝刊だ。毎日新聞は一面トップで「森氏「女性蔑視」批判の嵐」と見出しを打っただけではなく、総合面や社会面、スポーツ面でも大きく取り扱ったが、その一方、朝日の一面トップの見出しは「森会長、発言撤回し謝罪」。1面3番手の扱いにした読売は「森会長が発言撤回」、総合面で扱った産経は「森会長、「女性」発言を陳謝」、一面左端の日経も「森氏、発言を謝罪」という見出しだった。
会見で森会長は「お詫びをして、訂正・撤回する」とは言ったものの、その中身は謝罪も撤回もなく、「女性の話は長いという認識なのか」と問われると「最近、女性の話を聞かないからわからない」などと女性差別を重ねた。そればかりか、質問をおこなった女性記者に「声が聞こえない」「マスクを取ってくれ」などと要求したり、NHKの女性記者が名を名乗ると「よくわかっています」とわざわざ圧をかけるようなことまで口にしていたのだ。にもかかわらず、見出しを「謝罪」「撤回」「陳謝」などとするのは、まるで事実に即していない。問題の火付け役となった朝日でさえ一面トップの見出しが思考停止の漫然とした常套句でお茶を濁している点からも、この国のメディアの「意識の低さ」を浮き彫りにしている。
さらに、毎日、朝日、日経は会見を受け、5日になってようやく社説でもこの問題を扱ったが、毎日と朝日が「五輪責任者として失格だ」(毎日)「森会長の辞任を求める」(朝日)と辞任に踏み込んだ一方、日経の見出しは「あまりにもおそまつな森五輪会長の女性発言」、本文も〈撤回することは当然だが、それだけですむことではないだろう〉というヌルいもの。読売は5日時点では社説に取り上げることすらなく、6日になってようやく取り上げたが〈女性差別と受け取られても仕方がない〉などと明らかに腰の引けた論調だった。
しかしそれ以上にとんでもないのは、産経だ。産経は5日にコラムの「産経抄」で〈五輪招致から開催準備まで、森氏の大きな功績を疑うものではない〉と持ち上げたばかりか、〈海外メディアも問題視している。というよりむしろ、日本に「女性差別の国」のレッテルを貼りたがってきた欧米メディアにとって、絶好のネタである〉などと記述。レッテルも何も実際に「女性差別の国」であることが露呈したというのに、この期に及んで海外メディア批判を繰り出した。また、本日6日の同コラムでも、〈「正しさ」で厚化粧した集団いじめに立ち会ったかのようで、割り切れない〉〈マスコミが一斉に大上段に構え振り下ろす「正義」は、うさんくさく危うい〉とわざわざミソジニー表現を用いて書いている。
だが、この“ネトウヨペーパー”である産経並みにひどかったのが、ワイドショーのコメンテーターたちだ。どの番組も論調としては「森会長はひどい」というものだったが、しかし、そこで繰り広げられたコメンテーターの発言は、実際には擁護的なものも少なくなかった。
そして、とりわけひどかったのが、橋下徹氏の発言だ。