これだけではない。やはり要望がなされていた低所得の子育て世帯への給付金についても、厚労省は「臨時特別給付金による支援を活用いただくことが重要」などとし、同じく「ゼロ回答」だったのである。
「この私が話を聞いたんだから」とまで言い切っていたというのに、いまだに担当省庁に指示もせず、検討さえしていない──。急を要する問題であることは明白なのに、いったい「対応を検討していく」という言葉は何だったのか。
この見事なまでに進展のない「ゼロ回答」を見て、よくわかった。ようするに、野党の要求に応じて面会をおこなったことも、シングルマザーや非正規労働者という社会的に追い詰められている人たちの声を直接聞いたのも、柔軟に人の意見も聞いているとアピールするための「パフォーマンス」にすぎなかった、ということだ。
これは国会で「申し訳ない」と繰り返したことも同じだろう。反省することは大事だが、その反省が政策に反映されなければ何の意味もない。しかし、いまも抜本的な対策の見直しや支援策の拡充は打ち出されていないのが現状で、菅首相は謝っているだけ。きょうの議院運営委員会への出席も、これまでが異常だっただけで当然のことをやっているにすぎず、むしろ野党も世論も期間延長への反対はほとんどないから出てきやすかったはずだ。
つまり、菅首相は反省して心を入れ替えたのではなく、たんに腰を低く見せかけているだけ。「低姿勢偽装」しているだけなのだ。
そして、この「低姿勢偽装」は功を奏している。実際、これまで強行的な姿勢だった菅首相が「申し訳ない」と謝っただけでメディアは大きく報じ、逆に「そんな答弁だから、国民に危機感が伝わらない」と追及した立憲の蓮舫参院議員のほうがバッシングに遭っている。いまもっとも厳しくチェックされるべきは菅首相が陳謝したあとにどんな政策変更をおこなうかであるはずなのに、この期に及んでもメディアはミソジニー丸出しで野党の女性議員叩きに躍起になっているのである。
ちょっと頭を下げただけで、菅首相の本質は何も変わっていない。この菅首相の演技やパフォーマンス、粉飾こそ、メディアは批判すべきだろう。
(野尻民夫)
最終更新:2021.02.02 06:41