ところが、こんな状況にも関わらず吉村知事は「感染を抑えられている」と胸を張ったのだ。
吉村知事がもし、直近の年明け4日の数字を見て本気でそう信じたとしたら、頭が悪すぎるが、そんなことはありえない。
吉村知事は明らかに検査件数が少ないことをわかっていながら、その数字がもたらすイメージを詐欺的に利用して、感染の収束イメージをふりまいたのである。
理由はもちろん、自分たちの失政で医療崩壊が起きている状況を隠し、いつもの「やってる感」をアピールするため。そしてもうひとつは、経済を回すことしか考えていない吉村知事は、どうしても緊急事態宣言をやりたくなかったからだ。
実際、在阪テレビ局のニュース番組は、今回の発言の背景に吉村知事の「医療の限界を超えない限り経済を回す考え」があると解説していた。
「医療の限界を超えない限り」って、吉村知事は経済のために大阪府民の命をギリギリまで危険に晒していいと考えているということではないか。
いや、この言葉通りならまだマシかもしれない。というのも、大阪ではとっくのとうに医療の限界を超えているからだ。
大阪では、医療削減政策により、医師や看護師、保健所で慢性的な人手不足に陥り、コロナ感染が広がると瞬く間に検査・医療体制がパンク寸前に。そして、その脆弱な検査・医療体制が感染を拡大・重症化させ、さらに医療現場を逼迫させるという悪循環に陥っている。重症者数も11月下旬には100人を超え、以降も増加の一途を辿っている。
ネット上でも指摘の声があったように、大阪はこうした事態に自前の医療体制で感染拡大に対処することができず、自衛隊の派遣を要請せざるをえない状況にまで追い込まれた。吉村知事が岸信夫防衛相に自衛隊の派遣要請をおこなったのは12月6日のことで、まだ1カ月しか経っていない。
東京や神奈川の医療体制が十分とは言わないが、少なくとも自衛隊に派遣要請するような事態には至っていない。それ以上の事態を引き起こし、まだ収束していないうちに「感染を抑えられている」などとよくそんなことが言えるものだ。医療体制のことも、府民の命も、なんとも思っていないことがよくわかる。