いや、菅首相の場合、「壊れたテープレコーダー」以前の話なのかもしれない。というのも、原稿をただ読み上げることは安倍晋三・前首相もやっていたし、質問と噛み合わない答弁ではぐらかすことも多かった。だが、菅首相の場合、質問の意味が理解できていないのではないかと疑わざるを得ない場面が目立つのだ。
たとえば、昨日の森裕子議員の質疑に対する答弁でのこと。森議員は、菅首相がこのコロナ禍で困窮する人びとへの支援策を打ち出すでもなく「自助・共助・公助」を打ち出したこと、自民党の伊吹文明・元衆院議長が「自助ができるのに私は自助が出来ませんという『自称弱者』が次々出てきて、自助をしている人の果実をかすめとっていくと社会は成り立たなくなる」と発言した件に言及し、「自民党はこんな考え方なんですか?」と追及した。
すると、菅首相はまず「自分でできることは基本的には自分でやるというのは大事なこと」といつもの説明を繰り返した。この説明は到底承服できるものではないが、問題はこのあとの発言だ。
「たとえば、いまコロナで大変です。しかしコロナのなかでも3密を避けるとか、あるいはマスクをするとか、手洗いをするとか、自分のできることは、まずそこから、スタートすべきじゃないでしょうか」
森議員は“このコロナ禍で支援策を打ち出さないで自助を迫るのか、自民党はそんな考え方なのか”と尋ねたのだ。普通、それに対する答弁は、中身の問題はさておき「こんな政策もやっている、あんな政策もやっている」と主張するものだろう。しかし、菅首相は何を思ったのか、「3密回避、マスク着用、手洗いからスタートしろ」などと言い出したのである。
菅首相が言う「自助」の本質は、国からの支援がなくとも国民はなんとかしろと迫るものだが、それをごまかすために支援策アピールをするでもなく、斜め上の「手洗い励行」を口にする──。
菅首相の答弁をめぐっては、無責任さや矛盾が浮き彫りになって、ツッコミが追いつかない状況だったが、ここまでくると、もはや「この人、大丈夫なのか?」というレベル。強権独裁だけでなくポンコツ政治家に国の舵取りをまかせているのかと思うと、恐怖は募るばかりだ。
(編集部)
最終更新:2020.11.06 10:41