実際、政治学者である中島岳志氏は、昨年発表した『自民党 価値とリスクのマトリクス』(スタンド・ブックス)のなかで、菅官房長官を〈冷徹なポピュリスト〉〈人事を通じた権力掌握を巧みに行い、「自主規制」や「忖度」によって既得権打破の構造改革を進める政治家〉だと評し、その政治姿勢にこう言及している。
〈菅さんの打ち出す政策は、基本的に「自助」という自己責任を基調とする「小さな政府」路線に基づいています。〉
〈菅さんは小泉構造改革を断固として継続すべきという立場をとってきました。規制緩和を徹底することによって新しい産業を起こしていくというヴィジョンは、大臣就任以前からの持論でした。(中略)
国家戦略特区を推進し、農協改革によって自由競争を推進する。法人税を減税し、大企業の国際競争力を高める。
一方、政府の側も行政改革によるスリム化、効率化を図り、官邸主導によるスピード感を実現する。地方分権を推進し、地方自治体に競争原理を導入することで自助努力を促す。公務員の人件費は削減し、首長の高額退職金にもメスを入れる。〉
〈法人税を減税し、大企業の国際競争力を高める〉と言えば聞こえがいいが、その実態は減税された大企業は内部留保を溜め込むばかりで賃金には回ってこず、雇用も賃金が安い非正規が増加する一方となった。メディアはこぞって菅官房長官を「段ボール工場で働いていた叩き上げ」などと取り上げて「庶民派」であるかのように演出しているが、庶民の生活への視点などまるで持ち合わせていない。
いや、むしろ、この「叩き上げ」という経歴こそが、「自己責任」に走らせているという指摘もできるだろう。前掲書のなかで、中島氏もこうまとめている。
〈彼が「共助」よりも「自助」を強調する姿勢には、「自分はたたき上げで、裸一貫から努力してのし上がってきたのだ」という自負心があるのでしょう。一時期、議員の世襲制に対して猛烈に批判を加えていた背景にも、この思いが存在していると思います。
しかし、この考え方が「社会的弱者は公助に甘えている」という認識につながっているとすれば、やはり問題があります。大衆の欲望に敏感でありながら、本当の苦しみに寄り添えないようでは、大衆政治家として問題があると言わざるをえません。〉
これは菅官房長官と親密な関係にある橋下徹氏とも共通する問題だ。橋下氏も「苦労人」「叩き上げ」と呼ばれてきたが、生活困窮者や社会的弱者に対して「自己責任だ」「努力が足りない」と切り捨ててきた。「苦労人」「叩き上げ」だからこそ、「自分は苦労してもそれを努力で跳ね除け成功した。成功できない人間は努力が足りない」という「生存バイアス」「成功バイアス」を振りかざすのだ。
それでなくても安倍政権によって自己責任論が社会に蔓延してしまったというのに、その上、「基本は自分でなんとかしろ」と堂々掲げる菅氏が次期総理となれば、被災者も病人も生活困窮者も国から見捨てられ、「そもそも自分が悪い」とバッシングされる冷血極まりない国となることは間違いないだろう。
(編集部)
最終更新:2020.09.10 10:21