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村上春樹がエッセイ『猫を棄てる』を書いたのは歴史修正主義と対決するためだった! 父親の戦中の凄惨な中国人虐殺の記憶を…

 こうしてみると、村上春樹が今回、父親をテーマにしたエッセイを書いた背景に、現在の日本社会に蔓延る歴史修正主義への危機感をことは疑いようがないだろう。

 実際、この危機感は、一昨年、発表した長編小説『騎士団長殺し』(新潮社)にも込められていた。同作には、南京大虐殺と歴史修正主義に関するこんな記述があり、当時、百田尚樹ら極右論客やネトウヨから激しい攻撃にあったことも記憶に新しい。

〈「いわゆる南京大虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市内の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」〉

 だが、『騎士団長殺し』にはこの記述以外にも、日本兵による中国人捕虜の虐殺場面を生々しく描いた場面があった。

〈叔父(=継彦)は上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされた。(略)帝国陸軍にあっては、上官の命令は即ち天皇陛下の命令だからな。叔父は震える手でなんとか刀を振るったが、力がある方じゃないし、おまけに大量生産の安物の軍刀だ。人間の首がそんな簡単にすっぱり切り落とせるわけがない。うまくとどめは刺せないし、あたりは血だらけになるし、捕虜は苦痛のためにのたうちまわるし、実に悲惨な光景が展開されることになった。〉
〈叔父(=継彦)はそのあとで吐いた。吐くものが胃の中になくなって胃液を吐いて、胃液もなくなると空気を吐いた。(略)上官に軍靴で腹を思い切り蹴飛ばされた。(略)結局彼は全部で三度も捕虜の首を切らされたんだ。練習のために、馴れるまでそれをやらされた。〉

 この凄惨なエピソードは主人公の友人の叔父の体験として語られていたが、『猫を棄てる』を読むと、実際は、村上の父が唯一息子に語ったという戦争の記憶―─初年兵に度胸をつけさせるため中国人捕虜を軍刀で殺させているのを光景の記憶―─をモチーフにしていたことがはっきりとわかる。

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