今回の相手女性は、渡部から精神的に愛されているわけではないのはもちろん、性的にも一方的サービスを強いられているだけだ。そんな関係を誰が望んでいるというのか。こんなひどい関係であるにも関わらず、彼女たちが渡部に言われるまま会いに行っていたのは、「有名人」で「売れっ子」である渡部に精神的に支配されてある種の奴隷状態になっていたからではないか。
男女関係や恋愛で一方的なマウント構造、支配関係が確定してしまうと、被支配者のポジションにある人間はその理不尽極まりない行為すら受け入れてしまう。そして、その関係を壊したり、ひっくり返したりはなかなかできない。恋人や夫にモラハラやDVなど酷い目に遭わせられながら離れられない女性が数多くいるのも、そのためだ。いや、性的な関係や婚姻関係だけではない。学校でのいじめ、ブラック企業やパワハラ、カルト宗教の洗脳なども同じだろう。
今回の問題で渡部がまず謝罪すべきは、妻でも相方でもスポンサーでもない。“性のはけ口”として不当な扱いをした相手女性に対してだ。
ところが、渡部は相手女性に対して一切謝罪することはなく、ワイドショーでも誰もそれを咎めることはない。逆に「相手女性は被害者じゃない」などという言説のほうがまかり通っているくらいだ。
この背景にあるのは、日本の男性優位社会的価値観とそれをベースにした結婚制度に対する過剰な盲信だろう。
近年の過剰な不倫バッシングに対する反動として、最近、「妻が許せばいい」「家族の問題」などという風潮が強くなっている。渡部に対してすらも「多目的トイレを使用したことをのぞけば、夫婦の問題」などという人がいる。これは非常に危険な兆候だ。
意識的か無意識かはわからないが、今回、渡部が妻に対して繰り返し謝罪を述べる一方、相手女性に対しては謝罪も反省も一切口にしないのは、こうした風潮の延長線上のことだろう。
渡部が女性に対してはたらいたハラスメント行為・性的抑圧行為は、渡部が独身だったとしても許されることではない。にもかかわらず、渡部が結婚しているというだけで、「奥さんを傷つけた」などと言って、相手女性のほうがバッシングされてしまっている。