「いつでも話が聞けるように仲良くなるためにはなんでも断らない」と矜持を語る田崎氏だが、その無頓着ぶりが記者としての倫理観を失わせているのだろう。これでは、違法行為を犯したかどうかの違いだけで、黒川氏と賭けマージャンを産経や朝日の記者と同じではないのか。
だが、田崎氏は「僕の自負心は、そのとき(金丸氏から)聞いた話は本に書いたんです、ちゃんと。そういう気構えが必要なんじゃないかと思うんです」と言い、黒川氏と賭けマージャンをしていた産経の記者についても、「今後、(黒川氏のことを)書かれるかどうかって問題だと思います」などと述べたのだ。
「今後、書くかどうかが問題」って。黒川氏が“水に落ちた犬”となってから後出しで暴露することにもまったく意味がないとは言わないが、そのことで事務次官、検事長として大きな権限を持っているそのときに監視・批判しなかったことがそれで済まされるわけないだろう。この間、数々の政権不祥事が不起訴で片付けられ、その処遇をめぐっては法まで捻じ曲げられてしまっているのだ。田崎氏は以前、自身に対する御用批判に対しても「いまも利用されていると感じているが、利用されるかどうかはこちらの判断。『いずれ書くぞ』というのが、最大の良心でありプライドだ」と同様の主張を開陳していたが(https://lite-ra.com/2018/02/post-3801.html)、たんなる言い訳だ。
そもそも「賭けマージャン」を一緒にするような共犯関係にまでなって、まともな批判記事が書けるはずがないだろう。現に、黒川氏との賭けマージャンの場を提供した産経の記者は、定年延長が問題となっている最中に署名記事で〈黒川氏は日産自動車前会長、カルロス・ゴーン被告の逃亡事件の指揮という重要な役割を担っていることもあり、定年延長という形を取らざるを得なかったとみられる〉などと黒川氏の人事を擁護していた。
実際、元NHKの鎌田氏は「このマージャンやりながら、たとえば『俺がどうなる』とか『今度の事件こんなことがある』というふうには、僕はそんな話にはならないと思う」と言い、恵から「鎌田さん、このタイミングでもし呼ばれていたら行きました?」と質問された際も「行かないでしょうね」と回答。鎌田氏は「コロナのときじゃなければ行きますよ」と留保したが、しかし、田崎氏はコロナ禍だとしても「僕は行った」と胸を張って断言し、こうつづけたのだ。
「ようは僕らにとって、(この)職業、いろんなことやっていいんですけど、犯罪以外。ようは書くか書かないかなんですよ。それを世の中に知らせることが大事なんで」
「そのときの(黒川氏の)表情も見たいですよ」
記者は書くことで世の中に知らせるべき情報を伝えるのが仕事。そして表情まで鋭く観察してこそ実情が見えてくる──。これだけを読むとまるで使命感あるジャーナリストだが、しかし、こう語る田崎氏の実態はどうなのか。その答えは、すぐに出た。