ようするに、星野は政治性を忌避してきたことで、逆に安倍政権に「こいつは使える」となめられ、道具にされたということだ。
しかし、星野はこの状況になってもまだ、政治から距離を取ろうとするポーズを変えていない。これだけ自分の意図と違うかたちで利用されたのに、「安倍晋三さんから連絡は一切ありません」と表明するのが精一杯で、「みなさんに自由にコラボしてほしかったですが、安倍さんにだけはコラボして欲しくなかった」と批判もせず、「補償もお願いしますね」とひと言釘を刺すことすらしなかった。
イベント中止に追い込まれている音楽業界のみならずこれだけ多くの人間がそれこそ“右も左もなく”補償を求めているなかで、その程度のコメントで、別に政治的とかイデオロギーとか、たいしたハレーションが生まれるとも思えない。無料で勝手に人の楽曲を利用したんだから、それくらい言ったって誰も文句は言わないだろう。
しかし、安倍官邸は、星野源が絶対にそんなこと言ってこないとタカをくくっていたに違いない。だから、あのコラボに安心して乗っかったのだ。
そして、案の定、星野は安倍首相を真っ向から批判しなかった。その結果、安倍官邸はまったく反省しないまま開き直っている。菅義偉官房長官は「若者の新型コロナ感染が非常に多く、(外出自粛を)訴えるために、配信は極めて有効だと思う」「過去最高の35万以上も『いいね』をいただいて、多くの人にメッセージが伝わった」と強弁した。
そういう意味では、今回の安倍首相による星野源コラボ動画乗っ取り事件は、国民の窮状なんかつゆほども考えていない安倍首相の”貴族“ぶりや、官邸の狡猾なイメージ操作の手口を暴露しただけではない。「政治について意思表示しない」「政治から距離をとり続けている」という姿勢に内包されているリスクを表現者に突きつけたと言えるだろう。
(酒井まど)
最終更新:2020.04.14 12:09