彼女の言う通り、海外ではエンターテインメントやアートに対する助成が進んでいる。
たとえば、アメリカでは、米国芸術基金が経済的危機に立たされている文化機関に対して7500万ドルの支援を行うと発表した。それに際し、チェアマンのメアリー・アン・カーター氏は「アメリカは、経済、コミュニティ、生活の一部として芸術とその仕事を必要としており、芸術基金はその役割を果たすことを約束する」とコメントしている。
イギリスでも、アーツ・カウンシル・イングランドが1億6000ポンドの緊急措置資金を提供すると発表している。
ドイツでは、モニカ・グリュッタース文化大臣が「コロナウイルスは、文化国家としてのドイツを形成している多くの芸術家のライフスタイルに対する大きな脅威でもある」との認識を示したうえで、まずはフリーランスの事業者に対し数十億ユーロの救済プログラムを用意すると約束した。
アメリカにせよ、イギリスにせよ、ドイツにせよ、文化・芸術は社会を成り立たせるために不可欠な存在であると認識し、そうした活動に関わる人々の経済的苦境を凌げるように補償するべく動いている。
日本のように、ひたすら自粛を求め、それによって生じた損益はすべて事業者の自己責任に背負わせる姿勢とは180度違う。
ただ、この違いは、これまで積み上げてきたものの「差」が緊急時になって表面化してきたものとも言えるのかもしれない。
補償策がなされることになっている各国では、エンターテインメントやアートに関わる人々が、常に社会的な事象に意識的で、かつ、おかしなことが起こればその都度、発言や行動をしてきた。人々もそれを当然のこととして受け止めている。
その一方、近年、日本では、「文化・エンターテインメントに政治をもちこむな」という主張が跋扈。タレント、俳優、ミュージシャンといった人々が反権力的な意見を表明すると激しいバッシングを受けてきた(今回声をあげているアーティストたちの多くは、普段からバッシングに怯まず声をあげてきた数少ない勇気ある人たちでもある)。
現在起きている事態は、こうした空気と無縁のものではない。音楽も美術も演劇も、どんな文化・エンターテインメントも政治とは無縁でなどいられない。言うべきことを言わなければ、権力者の手によって簡単に利用もされるし破壊もされるのだ。
いまからでも遅くはない。ここで政府の対応のおかしさを批判し、援助の必要性を訴えれば、アーティスト・関係者たちの生活を守り、文化・芸術の芽が根絶やしにされるのを止めることができるかもしれない。
坂本龍一は朝日新聞の取材に、「芸術をサポートしようという意識や体制が、人々や行政にしっかり根付いていない」「今回、見捨てるのかちゃんと国として支援するのか、っていうのは国のありようというか、文化の大切さをどう思っているかが問われると思います」と語っている。(朝日新聞デジタル3月28日)
まずは政府に一刻も早い補償を求めたいが、今回の問題を機に「文化・エンターテインメントに政治をもちこむな」などというおかしな風潮も変えていくべきだろう。
(編集部)
最終更新:2020.03.31 01:39