それにしても、政府はなぜ、感染拡大を誘発するようなこんな支離滅裂なことをやっているのか。要因は様々あるだろうが、いちばん根底にあるのは、「感染者を守る」のでなく「感染者を排除する」という意識だろう。
感染者を守る・犠牲者を出さないという見地に立てば、前述したように、5日の時点で、感染がどれだけ広がっているか把握できていないクルーズ船からは、まず全員検査、全員退避させることを考えるべきだ。全員検査をするのに時間がかかる、収容施設がすぐに見つからないのであれば、高齢者、基礎疾患のある人、症状の出ている人など、専門家の見地にしたがってスクリーニングし、リスクの高さに応じて優先順位を決め検査、退避させることはできただろう。前述したように、そうしていれば、昨日死亡した2人の乗客が助かっていた可能性は十分にある。
しかし、政府のやっていることや安倍首相取り巻きの政治家たちの主張は、まったく逆。水際対策だけに異常なまでに固執し、国内感染を想定した対策をまったく取らない。これは、単純に知識不足とか判断ミスというより、根底に排除の意識があるからだ。
極論を言えば、武漢の人が全滅したとしても、クルーズ船内で全員感染したとしても、日本国内に上陸さえさせなければいいと思っているのだ。
だからこそ、政府は体調も考慮せずホットスポットに14日間も留め置くという非人道的な措置を平気でおこない、メディアも多くの国民も国内に感染を広げないためには仕方ないと大した批判の声もあげなかった。
それどころか、いま、日本社会では新型コロナをめぐる差別発言、感染者攻撃がまかりとおっている。中国人に対する差別がひどいのはもちろん、日本人同士でもマスクをせずに咳をしていただけで通報されたり、言い争いになるという事件も起きている。持病を持つクルーズ船の乗客に対し、“病気なのにクルーズ船に乗った自己責任”などと罵る言説も見られた。すでに市中感染が発生しているにもかかわらず、メディアもいまだに感染経路の追跡に固執し、犯人探しのような様相すら呈し始めている。
ウイルスはどんな人にも感染のリスクがあるのに、まるで感染はその人の自己責任かのように切り捨て、攻撃する。実際は、感染者を守る視点の欠如こそが、検査・治療体制の整備を遅らせ、感染を拡大させているにもかかわらず、生活保護バッシングと同じようなことが繰り広げられているのだ。
新型コロナは、安倍政権と日本社会の全体主義的体質を改めて浮き彫りにしたと言えるかもしれない。
全体のために一部の犠牲を厭わない。新型コロナは、安倍政権と日本社会の全体主義的体質を改めて浮き彫りにしていると言えるかもしれない。
(編集部)
最終更新:2020.02.21 08:14