いま、ネットでは、ネトウヨたちが「日本死ね」ツイートを持ち出し、「韓国なんていらない」とどっちがヘイトなのかと騒ぎ立て、吉田康一郎・中野区議などアンケートまでとっているが、これも同様だ。「日本死ね」は日本に住む母親が日本政府の保育園問題への無策を批判するためにとった表現であり、「韓国なんていらない」は他国や民族の否定だ。しかも、「ポスト」は比喩ではなく、“韓国人が全員病理に冒されている”かのようなヘイトをしているのだ。それをわざと同列に並べて、どちらがヘイトか、などとやるのは、悪質なすり替えでしかない。
しかし、恐ろしいのは、こうした滅茶苦茶な主張があたかも正論であるかのように広がっていることだ。「週刊ポスト」のヘイトがきっかけで、韓国への差別や偏見を助長させる報道にブレーキがかかるどころか、ヘイト正当化の動きがむき出しになりつつあるのだ。
その意味でも、今回の「週刊ポスト」をめぐる韓国ヘイト問題は、このまま放置してはならない。前述のように、韓国ヘイトは、小学館という出版社全体の問題であることはもちろん、そのほかの大手出版社もまた、むき出しの差別扇動やヘイトまがいの記事をたくさん世に放っている。そして、百田氏のような極右文化人がそれを擁護・肯定して拡散させる。こうした構造自体のグロテスクさを、わたしたちは徹底的に批判するべきだ。
本来、メディアには、政治権力が暴走したり、大衆がグロテスクな方向へ加速してしまったとき、それらを食い止めるための言論が求められる。だが今や、週刊誌やワイドショーをみても“嫌韓ネタ”一色で染まっているように、むしろメディアの方が差別や偏見を助長してしまっているのだ。あらためて、この状況に「NO」を突きつけない限り、同じことは何度でも起こるだろう。
(編集部)
最終更新:2019.09.04 06:40