昭和天皇はおそらく、大元帥だった戦前・戦中も、自らが開戦に詔勅をあたえた戦争で日本国民に未曾有の戦渦をもたらし、他国に多大なる被害を与えた後も、変わらず「万世一系の皇統の存続」を最大目的として行動し続けてきた。
「戦争への反省」の意を表そうとしたのも、その「反省」削除に応じたのも、当時、国内にあった退位論を抑えるためだったと思われるし、「改憲による軍隊保持の希望」も「沖縄の米軍基地容認」も共産勢力の日本進出で皇統が保障されない事態を恐れていたからこそのものだろう(実際、拝謁記からも共産主義への強い警戒心が見て取れる)。
そう考えると、昭和天皇個人に「反省」を期待することも自体が、そもそも無意味なのだ。
それよりも、私たちが考えなければならないのは、私たち自身の姿勢のことだろう。日本国民は天皇が戦争責任を自ら表明するか否かに関わらず、自分たちの手で、天皇の戦争責任を検証し、追及すべきだったのだ。しかし、国民もメディアもそのことから逃げたばかりか、一緒に自分たちの戦争責任にも蓋をしてしまった。
その結果、安倍首相の祖父である岸信介をはじめ戦争に加担した政治家がなし崩し的に復権し、戦前回帰を目指し、大日本帝国と戦争を肯定する思想が温存されたのだ。
もし、あの時にきちんと天皇の戦争責任を検証し、自分たちの戦争責任に向き合っていたら、1990年代の歴史修正主義の台頭や安倍政権の露骨な戦前回帰を許すことはなかったはずだ。
昭和史と天皇制研究で知られる吉田裕は、日本の戦争責任に対する姿勢を「ダブル・スタンダード」と評して、こう分析している。
〈具体的に言えば、対外的には講和条約の第一一条で東京裁判の判決を受諾するという形で最小限の戦争責任を国家として認める、しかし、国内的には、日本の戦争責任を事実上、否定する、あるいはこの問題を棚上げにする、という形での対外的対応と国内的な処理の仕方とを使いわけるようなやり方である。
当然のことながら、このようなダブル・スタンダードの成立は、日本人の戦争観や戦争責任観のあり方をも大きく規定することになった。一つには、国内的に戦争責任の問題が不問に付されたことの結果として、日本国家と日本人の対外的な戦争責任・加害責任の問題が曖昧にされただけではなく、国家あるいは国家指導者の自国民に対する責任の問題まで、事実上、封印されてしまったことである。〉(『現代歴史学と戦争責任』青木書店)
しかし、今からでも遅くはない。戦争をめぐる天皇の「肉声」が明らかになったこの機会に、「天皇の言葉」に頼るのでなく、国民が自分たちの手で戦争責任の問題を検証し、追及する作業を開始すべきではないのか。
(エンジョウトオル)
最終更新:2019.08.24 08:44