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エヴァ貞本義行、くるり岸田繁まで…あいちトリエン“慰安婦像”攻撃で露呈した無自覚なヘイト、表現の自由の矮小化

 まず言っておきたいのは、「平和の少女像」の造形が美的に優れているかどうかは個人の感じ方次第ではあるが、これを「キッタネー」と差別的に罵る行為が批判されるのは当たり前だということだ。

 映画評論家の町山智浩氏は、一般ユーザーの〈貞本義行氏が例の慰安婦像を酷評した件で叩かれているが、あれを普通に芸術品としてみた場合、ぶっちゃけゴミ同然の価値じゃないの〉というツイートに対して、このように投稿している。

〈いや、像そのものはさておき政治的背景が嫌だと言ったほうがまだマシ。政治的文脈抜きに純粋に造形物として見た場合、あの像は典型的な韓国人少女をプレーンに描いたものでしかないので、それをゴミとか汚ねえと罵倒するほうが差別的。例えば黒人を写実した像に対してそう言ったらどう取られるか。〉

 まさに町山氏の言うとおりだが、これに対して貞本氏は〈尊敬してる町山さんに言われると辛いですね…〉と言いつつ〈今回の一件、米軍に轢き殺された少女の背景まで知りませんでした〉などとツイートをしている。“少女像はもともと米軍装甲車に轢き殺された少女の像としてつくられ、のちに慰安婦問題を象徴する像として転用された”というのは、数年前からネット上で流布している事実無根のデマだ(過去記事参照https://lite-ra.com/2017/12/post-3635.html)。

 いずれにしても、「造形物としての魅力」と「キッタネー」という言葉遣いには明らかに距離があり、やはり後者が差別煽動として批判されねばならないのは当然なのである。

 次に、「平和の少女像」が「プロパガンダ」(政治的宣伝)なのかどうかという点だ。たしかに、日本の安倍政権と韓国の文在寅政権が慰安婦問題で対立している以上、この作品が政治的に扱われてきたことは言をまたない。

 だが、本サイトでは繰り返し説明してきたように、制作者は「ハルモニ(おばあさん)たちの苦難の歴史、世界の平和と女性の人権のために闘うハルモニたちの意思まで込めようと思いました」と語っている(「週刊金曜日」2016年9月16日号)。つまり、戦争被害と女性の人権侵害という悲劇を再び起こさないようにというメッセージであり、あえて分類すれば、広島県の平和記念公園にある「原爆の子の像」(通称・禎子像)と類似のジャンルであって、これを「プロパガンダ」とは言わない。

 むしろ、「少女像」を巡る経緯や事実関係を考えれば、批判するべきは作品そのものではなく、利用しようとしている政治のほうだろう。安倍政権は2015年のいわゆる日韓合意で韓国内の少女像の撤去を要請した。これ自体が市民の表現行為に対する政治の介入そのものであって、それゆえに「少女像」は強い政治性を帯びているのである。

 その文脈の上で「表現の不自由展・その後」というコンセプチュアルな展覧会のなかに「少女像」が位置づけられたのだ。こうした経緯を無視して、単に「プロパガンダだ」と批判するのは、それこそ「アート性」の理解を放棄した“決めつけ”としか言いようがないだろう。

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