選挙とは何か、国会とは何か、民主主義とは何か。舩後氏と木村氏の当選は、その根源的意味も問いかけている。
国会は、人々の声を政治に届ける場であり、選挙はその代表者を選ぶ行為だ。難病と重度の障害を持つ当事者ふたりの国会議員誕生は、国の議会が直接的に汲み上げる声の多様性を広げることになる。
しかし、「障害者に国会議員が務まるわけがない」「補助に税金を使うな」「自己責任だ」なる“障害者排除論”が大手を振ってはびこる様を目の当たりにすると、いかにこの国に民主主義が定着していないかということを痛感する。
日本で初めて国政選挙が行われたのは明治時代の1890年だが、当時、有権者は高額納税者の男性(満25歳以上)に限られており、国民全体のわずか1%に過ぎなかった。納税額の縛りがなくなった男子普通選挙の実現は大正時代の1925年で、そこまでに35年がかかった。それでも、女性にはずっと参政権がなく、普通選挙で女性が選挙権と被選挙権を持つことができるようになったのは、それからさらに20年、終戦後の1945年だった。
そして、いま再び、高額納税者だけが選挙権を持てた130年前となんら変わりのない「選民思想」が大手を振ってまかり通り始めている。
こうしたグロテスクな動きに抗うためにも、舩後氏と木村氏には、国会議員として、あらゆる差別と戦うリーダーになることを期待したい。そして、わたしたちもただの傍観者であってはならない。“排除の論理”をかき消すぐらい、支援の声を大きくしていくべきだ。
(編集部)
最終更新:2019.07.24 09:09