いずれにしても、明仁天皇の時代は、安倍政権の戦前回帰圧力に抗して憲法や戦後民主主義を守る存在だったのが、徳仁天皇の代になって、戦前の国家神道を認めるような行動に踏み出してしまった。これは由々しき事態と言っていいだろう。
しかも、暗澹とさせられるのは、マスコミや国民の反応だ。改めて言っておくが、日本国憲法は主権在民を定め、天皇は「象徴」として「国民の総意」に基づいている。ところが、皇位継承にあたり、明らかに「万世一系の天皇をいただく世界無比の神国」なる戦前の国家神道的価値観を再生しようとする宗教儀式が国事行為として、巨額の国費を投じて行われている。
にもかかわらず、マスコミはまったくそのことを批判しようとしない。それどころか、この間の儀式を「お祭り」として煽り、日本を狂気の戦争に駆り立てた神話を喧伝してきた。たとえば、NHKは4月18日の天皇・皇后の伊勢神宮参拝を放送した際、「天皇皇后両陛下は今月30日の天皇陛下の退位を前に皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました」「内宮は皇室の祖先の天照大神が祀られています」などと、架空のキャラクターを実在の先祖とし、「伊勢神宮に祀られている」という明治期に国民支配のために作られたフィクションを事実として報道する始末だった。
最近、「しょこたん」こと中川翔子が、Twitterに〈西暦は2019年だけど日本の起源で数えると2679年なんだって!〉などと、まるっきりフィクションの「皇紀」を鵜呑みにした投稿をして物議をかもしたが、こうした状況が続けば、天皇を神格化するために二重に作られた神話を史実と信じ込む若い人たちはこれからもどんどん増えていくだろう。
その先にあるのが全体主義と排外主義に支配された狂った時代の再来でない、と誰が言い切れるだろうか。
(宮島みつや)
最終更新:2019.05.05 11:14