しかも彼らは、明らかに元号法の制定の先に、戦前の天皇制や国体思想の復活をみていた。
生長の家系の出版社である日本教文社から1977年に刊行された『元号 いま問われているもの』という本がある。そのなかに竹内光則氏、佐藤憲三氏という日青協の運動家ふたりの対談(初出の「祖國と靑年」に加筆したもの)が収録されているのだが、そこでは「元号法制化の意味するもの」と題して、あけすけにこう語られている。
「元号法制化運動の一番根源的な問題は、天皇と国民の紐帯をより強化する、天皇の権威をより高からしめるというところに一番の眼目がある」
「われわれの元号法制化運動は、たんに元号を法制化したらそれで良いという単純な運動ではないわけですね。彼(引用者注:右翼思想研究でも知られる橋川文三氏のこと)が言う様に、『天皇制をとりまく付帯的な事実』としての元号とか、たとえば『神器』の問題とか、そういう戦後の象徴天皇制の下で無視もしくは軽視されて来た問題を復活せしめて行くことによって、『国体恢復』への『大きな流れ』をつくる運動なんだということが理解されなければならないと思うんです」
その後も同様だった。国際化の流れのなかで「行政文書などでは西暦を使用すべき」という論が何度か浮上してきたのだが、そのたびに保守勢力が強く反発し、現在まで温存されてきた。たとえば1992年、政府の臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)の「世界の中の日本」部会では、報告原案に盛り込まれていた「行政文書での西暦併記」が最終報告書では消されていた。保守派や官僚の抵抗によって棚上げを余儀なくされたようだ。部会長を務めた稲盛和夫・京セラ会長(当時)は「私も併記に賛成だが、義務づけると国粋主義のような人がものを言い出して、かえって変なことになるかもしれない」と政治的な配慮を認めたという(朝日新聞1992年5月23日付)。
いずれにしても、わたしたちが、なんとなく受け入れてしまっている元号は、戦前日本の天皇制と国体思想、すなわち民衆を戦争に駆り立てた狂気の思想の復活を目指す勢力の圧力によって維持されてきたのだ。
ところが、マスコミは今回の改元にあたってもそのイデオロギー的部分にはまるでふれず、冒頭で指摘したような元号予想やアンケートでお祭り騒ぎを繰り広げている。それどころか、元号を推し進めてきた右派勢力の親玉である安倍首相の元号利用を後押しする始末だ。
この状況をみるかぎり、少なくともこの国は着々と戦前に回帰しつつあるということだろう。
(宮島みつや)
最終更新:2019.04.01 10:00