だが、よく考えてほしい。実はこれ、「保守」でも「伝統主義」でもなんでもない。繰り返しになるが、日本での初の元号とされる「大化」(646年)から現在の「平成」まで、出典がわかっているものはすべて漢書がモチーフだ。日本会議がその前身から元号の法制化運動を推し進めてきたように、連中は元号を「日本国の伝統の象徴」と持ち上げるが、これを簡単に「中国由来は嫌なので国書からとりましょう」とか言い出すのって、マジで「伝統」をなんだと思っているのか逆に聞きたくなってくる。
だいたい、『日本書紀』や「十七条の憲法」からとったって、それらは中国由来の漢文である。また、万葉集から拝借しようというのなら、漢字の音だけをパクった万葉仮名を使うということであり、「元号の字の意味なんてどうでもよくね?」と言っているようなものではないか。
そういえば、安倍首相のオトモダチである百田尚樹センセイは「現在も中国に対する漠然とした憧れを持つことはやめるべきだし、そんな勘違いを育む漢文の授業も廃止したらいい」などとトンチンカンなことをほざいていたが、ようするに、「元号は国書を出典にしよう」との発想もまた、単純に「中国は嫌い」と「日本はスゴイ」的なレベルでしかないのだろう。
いや、別に、これまでの慣習にのっとって新元号を漢書からとってこなくたってまったく構わないし、困ることだってない。そんなにイヤなら、スッパリと廃止すればいいのである。結局、連中にとって「日本の伝統」など、その程度のものではないか。
ちなみに、新元号をめぐっては、保守派から早期の公表に対する強い反対の声も上がっていた。日本会議国会議員懇談会は昨年7月に事前公表に反対することで一致し、同年8月には新天皇による公布を求めて官邸に申し入れをおこなっている(朝日新聞1月5日付)。新元号の公表が、当初政府内で検討されていた2018年中から2019年4月1日へと大幅に遅れたのは、安倍首相がこうした保守派支持層に配慮したからだ。
彼ら保守派曰く、「今上天皇の在位中の新元号発表は二重の権威を生む」という。だが、そもそも“一人の天皇にひとつの元号”という「一世一元」は、たかだか幕府を破った明治新政府が定めた歴史の浅い制度にすぎない。それまで元号は吉兆やら災害やらなんやらを理由にコロコロ変えられており、一例として幕末の孝明天皇の在位期間は実に7つの元号にまたがっている。また、逝去した天皇の名前(諡号)に元号を使うこともなかった。たとえば桓武天皇はいるが「桓武」という元号はない。これまたその程度の“伝統”だ。