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池松壮亮主演、塚本晋也監督の時代劇『斬、』が訴えたかったもの! 日本の右傾化への無力感と警告が

『斬、』の時代設定が幕末であることにも意味がある。安倍政権のもとで右傾化を強め、どんどん「戦争ができる国」へ近づいていく現在の日本と、開国前夜の日本を、塚本晋也監督は重ね合わせているのだ。

「いまの日本の状況とよく似ていると思ったんです。江戸時代になって250年間も戦争がなかったところに、ペリーさんが黒船でやってきて国内がざわつき始めて、キナ臭く血なまぐさい世の中になっていく。そして明治になり、近代戦争の時代に突入していく。歴史的にはそのまま行けば世界大戦に繋がるわけですから、過去の時代を描くことで、この先に起こりうる未来を暗示するような映画にしようと思ったんです。警告……というと大げさですけどね」(前掲「映画秘宝」より)

 映画では、杢之進は澤村による強引な導きで源田らと対峙することになる。だが、その仇討ちの場面で杢之進はなにもできない。彼と淡い恋仲の関係にあると描かれるゆうが浪人集団に性的暴行されそうになっている状況でもなお……。

 一般的なストーリーテリングの定石では、その状況を克服することでドラマが生まれるわけだが、時代劇における花形シーンの仇討ちの場面ですら、『斬、』は徹底的にアンチヒロイズムを貫き通す。その背景にはもちろん、塚本晋也監督が映画を通して観客に伝えようとした「非暴力」の確固たる思いがある。「キネマ旬報」(キネマ旬報社)2018年12月上旬号のインタビューで塚本晋也監督はこのように語っている。

「たぶん都築杢之進は人を斬るのが上手い人で、死ぬのが恐い根性なしじゃなく、これから自分は何人殺すのかという恐怖。その難しい状況を克服するのがヒーローなんでしょうが、克服することが出来ないことを描かねば。今の時代への絶望が僕の中にあるから、克服する姿でお客さまに納得してもらいたくない」

 優れた時代劇は、過去に材を取ることで権力者に目をつけられないよう偽装しながら、「いま」を牛耳る権力者への批判を物語に入れ込むものだ。『斬、』は「痛快時代劇」ではないが、そういった意味では「反権力」に根差したもっとも時代劇らしい時代劇といえるのかもしれない。

最終更新:2018.12.11 11:34

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