さらに、記者会見で安田氏が、シリア入りの際に拘束されてしまったことを「私の凡ミス」と語ったことについて、坂上が「衝撃的なワードが出てきた」と言うと、東国原は鬼の首を取ったかのように安田氏を責めはじめた。
「自分の行動を『凡ミスだった』と言い放ったのはいかがなものかと思っております。あの部分で、もし自分が疑っていたら、慎重な行動が取れたはず」
はっきり言って、紛争地に単身で入ったこともない坂上や東国原が、何を知っているというのだろう。国内外の多くのジャーナリストたちが指摘しているように、現在のシリアのような混沌のなかで誰が正しい案内人なのかや何が安全な選択肢であるかを完全に見極めることは困難なことであり、実際にシリアでは安田氏だけではなく海外のジャーナリストたちもジャーナリスト以外の人も何人も拘束されている。橋下徹も〈安全対策をきっちりと行える者が行くべきだ〉などと叫んでいるが、紛争地では絶対の安全対策など存在しないのだ。
しかも、東国原はつづけて、耳を疑うようなことを主張した。
「使命感や正義感が勝ったのか、それとも自分の欲求が勝ったのか、そういう論点は僕は明確にしていただきたいと思いますね。正義感とか使命感とか、そういうものを表に出せば、それはジャーナリズムの正義が立つでしょうよ。でも、この方はね、『あー、おかしいな』と思いながらも入ったということは、自分のジャーナリストとしての、自分が知りたいという、知らせたいではなく自分が知りたい欲求が勝ったのではという疑義がある」
東国原は何を言っているのだろう。ジャーナリストの使命感や正義感と、知りたいという欲求は、明確に分けられものではなく地続きのものだ。何が起こっているのか、人びとの暮らしはどうなっているのか知りたい。ジャーナリストたちのそうした内発的な欲求、問題意識があってこそ、わたしたちは知ることのできない世界の現実を見ることができる。内発的・個人的な欲求があるからこそ、踏み込める取材もある。それをたんなるのぞき見趣味のような個人的欲求だと矮小化することは、橋下の主張と同じで、まったく報道の意義というものを理解していない証拠だ。