そもそも夫婦同姓は、保守派がよく言う「夫婦の愛情を高めるため」「家族の絆を深めるため」などという理由から定められたわけではない。明治民法では戸主を絶対権力者に位置づける「家制度」が定められていたが、そこでは「氏」を「家」の名称としていたからだ。そのため夫婦も子どもも皆、同じ氏に統一していた。
この家制度の下で女性は圧倒的に地位が低く設定されていた。女性は男性の「家に入る」のが基本。妻は財産を夫に管理され、親権も与えられず、妻の不貞のみ罪に問われた。妻は戸主に絶対服従、夫の所有物のような存在だったのだ。夫婦同姓は、こうした女性差別の元凶ともいえる家制度の名残だ。
想田監督が結婚したアメリカ合衆国は言うまでもなく、現在でも選択的夫婦別姓を認めていない国は日本以外ほとんど存在しない。そのため、日本は国連の女性差別撤廃委員会から夫婦同姓の強制が問題視され、改正を求められているほどだ。夫婦別姓を認めた国で、それによって家族の絆が崩壊しているのかといえばそんなことはないし、夫婦同姓を強いている日本でも多くの夫婦が離婚している。
しかし、保守層は選択的夫婦別姓制度の導入こそが「家族の解体」につながるとして強行に反対してきた。とくにその“急先鋒”となってきたのが、安倍首相その人である。安倍首相は下野時代、こんな調子で夫婦別姓を“糾弾”していた。
「夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)。これは日教組が教育現場で実行していることです」(「WiLL」ワック2010年7月号)
この翌月、同じ「WiLL」のなかで安倍氏は、このようにも語っている。
「自民党の中でも健全な保守的な考えを持つ議員がヘゲモニー(覇権)を握り、主流派になっていくことが求められています。その際は外国人参政権、夫婦別姓、人権擁護法案などの問題に対して、明確な態度を示しているかどうかが一つの基準になります」(「WiLL」10年8月号)
つまり、夫婦別姓に反対する“健全な保守議員”が主導権を握らなければいけないと言っているわけだが、この宣言通り、安倍氏は首相に返り咲くと身のまわりを保守というより極右思想のシンパや安倍チルドレンで固めた。
事実、これまで安倍内閣に参加したほとんどが夫婦別姓反対の立場で、なかでも高市早苗氏や丸川珠代氏、島尻安伊子氏という女性議員は全員が別姓に反対。また、稲田朋美氏は「別姓推進派の真の目的は「家族解体」にあります」(ワック『渡部昇一、「女子会」に挑む!』/11年)と、安倍氏とまったく同じ発言を行っている。